神奈川県出身の俳優で、独特の存在感を持つ俳優の嶋田久作さん。
映画「帝都物語」でデビューし、その存在感を高く評価されました。
この記事では嶋田久作さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、結婚、妻などについて紹介しています。
Contents
嶋田久作の経歴・プロフィール
嶋田久作の小学校
嶋田久作さんの出身小学校は 不明、中学校は 横浜市立瀬谷中学校
神奈川県横浜市瀬谷区出身。本名は嶋田哲夫。
卒業した小学校は横浜市の公立校学校のようですが、学校名は不明。
中学校は神奈川県横浜市瀬谷区中央にある公立中学校の瀬谷中学校を卒業。
同中学校の出身者には女優の伊藤かずえさん、タレントのダレノガレ明美さんなどがいます。
幼少期からビートルズに憧れ、漠然と音楽に興味がり、楽器は得意でメロディーを聴くとすぐに演奏できたといいます。
嶋田久作の高校
嶋田久作さんの出身高校は 幾徳工業高等専門学校 (偏差値-)
神奈川県厚木市下荻野にあった高等専門学校。
1963年に大洋漁業(現・マルハニチロ)のオーナーが開校。開校当初の規模は電気・機械・工業化学の3科目だけでした。
同校を母体にに1975年4月に幾徳工業大学が開学したことで1978年に閉校になっています。
出身者のはワインソムリエの田崎真也さん(中退)などがいます。
4年生の時に十二指腸潰瘍を患い学校は退学。
3年以上通ったので、大学受験の資格を得ています。
嶋田久作の大学
嶋田久作さんの出身大学は 東洋大学 文学部 (偏差値55)
東京都文京区白山5丁目に本部がある私立大学。
同大学の出身者にはお笑い芸人のねずっちさん、オードリーの若林正恭昌樹さんなどがいます。
大学では哲学を専攻。
両親には「倫社の先生になる」と話して大学に進学したといいます。
大学時際にバンドを結成し、学園祭で演奏。
大学卒業後はコンピューター会社にプログラマーとして就職しました。
嶋田久作の学歴
佐野史郎とバンド活動
大学4年生の時に学校の友達に別の大学の音楽サークルを紹介され、バンドを結成。
バンドのボーカルは佐野史郎さんで、嶋田さんの担当はキーボード。大学の学園祭でバンドデビューしました。
バンド活動に夢中になり、卒論は3日で完成さえ、大学卒業後はコンピューター会社に就職しましたが退職。
生協のレジ打ちなどのアルバイトをしながら5年間バンド活動を続けましたが、ものにならす30歳を前にバンドは解散。
その後は庭師をしていました。
俳優デビューのきっかけ
1984年、29歳の時にバンド時代からの知り合いだった演出家の飴屋法水さん誘われ劇団『東京グランギニョル』の旗揚げに参加。
当時は佐野さんの所属していた「状況劇場」の舞台を何度か観たことがあるくらいで、芝居には興味はありませんでしたが、飴屋さんに何ともいえない魅力を感じ、「1度だけなら」と引き受けたことがきっかけでした。
劇団の解散まで所属していましたが、この時は役者を自身の職業としては考えていなかったといいます。
「帝都物語」で俳優デビュー
1988年、32歳の時、『帝都物語』の魔人、加藤保憲役で映画に初出演。
劇団時代に舞台『帝都物語/ガラチア』に出演した際、嶋田さんの演技が関係者の目に留まっての抜擢だったといいます。
映画デビュー作でしたが、嶋田さんの強烈なキャラクターは評判となり、原作者の荒俣宏さんも嶋田さんの印象強いキャラクターを高く評価し、同作を文庫化する際には加藤の容貌を嶋田さん本人に似せて書き直しています。
同映画は、出演者に勝新太郎さん、平幹二朗さんらを起用された制作費10億円の大作。
配給収入は10億5000万円でその年の8位という成績でした。
この映画に出演する準備をしていた頃に、俳優を職業をして意識したといいます。
撮影時はまだ庭師の仕事をしていましたが、「庭師の仕事でケガをされては困る」との制作側の判断で庭師の仕事は退職。
映画制作会社の預かりになって俳優の仕事しかなくなり、食べていけるかどうかの自信もないまま俳優としてのスタートをきったそうです。
結婚や妻、子供
嶋田久作さんは1990年、35歳の時に結婚。
2012年には自身のブログで結婚22年目であることを綴っています。
子供はいないようです。
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