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柴田理恵の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 柴田理恵

富山県出身の俳優で、タレントとしても活躍する柴田理恵さん。
この記事では柴田理恵さんの学歴、経歴、生い立ちや、俳優になったきっかけについて紹介しています。

柴田理恵の経歴・プロフィール

柴田理恵の経歴・プロフィール

名前   柴田理恵
生年月日 1959年1月14日
出身   富山県
身長   156cm
血液型  B型
所属   WAHAHA本

柴田理恵の小学校

柴田理恵さんの出身小学校は 富山市立八尾小学校

富山県富山市生まれ。父親は鉄道会社に勤務する会社員、母親は小学校の教師。兄弟はなく一人っ子。
母親の実家は老舗旅館で、お盆などの繁盛期には柴田さんも手伝っていました。

小学校は富山県富山市八尾町下笹原にある富山市立八尾小学校を卒業。
富山市は豪雪地帯で子供の頃には3mくらい積もって、2階から出入りしていたこもあり、毎朝雪かきをしてから学校に通っていました。
坂も多いことからゲレンデに行かなくてもスキーが出来たといいます。
学校では学級委員を務めていました。

柴田理恵の中学校|役者を目指したのはものまねがきっかけ

柴田理恵さんの出身中学校は 富山市立八尾中学校

富山県富山市八尾町福島にある公立中学校。
中学時代も学級委員を務める真面目なタイプでした。
芝居に興味を持つきっかけは中学2年生の時の立山登山遠足でした。
夜にみんながものまね合戦が始め、真面目だった柴田さんは見ていましたが「理恵ちゃんも何かやって」と言われ山本リンダさんのものまねを披露。
すると大ウケし友達も一気い増えたそうです。
人前で何かをすると楽しくて周りの人の喜ぶことを知り、その後は学芸会に参加したり、コントの台本を書いて学校を終わりに見てもらうようになったといいます。

柴田理恵の高校|白石加代子さんに会って上京を決意

柴田理恵さんの出身高校は 八尾高校 (偏差値54)

富山県富山市八尾町福島にある男女共学の富山県立高校。
1922年(大正11年)設立した 八尾町立八尾女子技芸学校が前身で、1948年の学校改革で男女共学の高校として発足しました。
部活動も盛んでボート部はインターハイや国体を何度も優勝しています。
中学で人前で何かをやる楽しみを知ったことから、高校時代は演劇部に所属。
演劇を観るのも好きでしたが、当時は文学座や俳優座、民藝などが公演する程度で物足りないと思っていたといいます。
そんな時に早稲田小劇場という当時のアングラの劇団が来ることを知り観に行くと劇団員だった白石加代子さんがかっこよく「こんなにすごい人が世の中にいる」と思い、絶対東京に大学に入ろうと決意しました。

柴田理恵の大学|大学時代に久本雅美に出会う

柴田理恵さんの出身大学は 明治大学 文学部(偏差値60)

東京都千代田区神田駿河台1丁目に本部がある私立大学。
文学部演劇学科に在籍していました。
両親には芝居をやるというと上京を許してくれないと思い、「国語の先生になるために東京の大学に行かせてほしい」と言って上京させてもらったといいます。
大学では演劇研究部に所属していました。
演劇もたくさん観て、1980年、大学4年生の時に「劇団東京ヴォードヴィルショー」に入団、その半年後に久本雅美さんも入団してきました。 久本さん入団する時には主催の佐藤B作さんに「今度大阪から変な女がやって来るけど、お前と良いコンビになるかもな」と言われたといいます。

柴田理恵の学歴

柴田理恵の学歴

小学校  富山市立八尾小学校
中学校  富山市立八尾中学校
高校   八尾高校
大学   明治大学

WAHAHA本舗旗を揚げ

「劇団東京ヴォードヴィルショー」での若手公演が方向性の違いから中止になったことがきっかけで、1984年に劇団を退団。
同年に演出の喰始さん、久本雅美さん、佐藤正宏さんらと「WAHAHA本舗」を結成しました。
「WAHAHA本舗」では看板女優として活躍し、『今夜は最高!』(日本テレビ)に久本さんらとレギュラー出演したことがきっかけで、バラエティタレントとしても活躍するようになりました。

結婚や夫、子供

柴田さんは1987年、28歳の時に結婚。
夫は大学の同級生で芝居仲間。「WAHAHA本舗」では舞台監督をしていました。
結婚式は劇場で観客を入れた舞台上での「公開結婚式」だったといいます。
子供はいないようです。

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