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堺正章の学歴・経歴・生い立ち 父親は俳優で子役デビュー 高校は進学校

学歴 堺正章

かつてザ・スパイダースのメンバーとして人気を誇り、司会者、俳優としても活躍する堺正章さん。
この記事では堺正章さんの学歴、経歴、生い立ちや、について紹介しています。

堺正章の経歴・プロフィール

堺正章の経歴・プロフィール

名前   堺正章
生年月日 1946年6月6日
出身   東京都
身長   157cm
血液型  A型
所属   エスダッシュ

堺正章の小学校 5歳で子役デビュー

堺正章さんの出身小学校は 鎌倉市立御成小学校

東京都世田谷区生まれ、神奈川県鎌倉市育ち。兄1人、姉2人いる4人兄弟の末っ子。
父親はコメディアン、俳優の堺駿二さん、母親は松竹少女歌劇団の踊り子だった幹千代子さん。
父親の堺駿二さんは戦後は現代劇、時代劇を問わず、コミカルな名バイプレイヤーとして、映画や舞台、そしてテレビでも活躍しましたが、1968年10月に新宿コマ劇場での公演中に脳溢血で倒れて54歳で亡くなっています。
裕福な家庭に育ち、子供の頃に住んでいた鎌倉の家は敷地面積4000坪の豪邸。父親の弟子やお手伝いさんも同居し12人で暮らしていました。

5歳の時には父親に連れられて撮影所に行ったことがきっかけで、1952年5月公開の映画『東京騎士伝』で子役デビュー。
同年の『母は叫び泣く』、1954年には『ハワイ珍道中』にも出演しましたが、以降は学業に専念しています。

小学校は神奈川県鎌倉市御成町にある鎌倉市立御成小学校を卒業。
出身者には女優の内藤洋子さん、政治家の石原伸晃さんなどがいます。
小学生の時はヤンチャでクラス堺さんに対する学級裁判が開れたほどでした。
小学5年生の時には不良がいるからとローラースケート場に行くことを父親に禁止され、その代わりに庭にローラースケート場を作られたといいます。

堺正章の中学校・高校 歌手デビューのきっかけ

堺正章さんの出身中学校・高校は 鎌倉学園中学校・鎌倉学園高校

神奈川県鎌倉市山ノ内110番地にある私立の男子校。
1885年(明治18年)に創設された宗学林が前身の学校で、1921年(大正10年)に鎌倉中学校が設立。2021年(令和3年)には100周年を迎えた歴史の長い学校です。
中学校の偏差値は60、高校の偏差値は68。出身者には歌手の桑田佳祐さんなどがいます。

中学時代にエルビス・プレスリーになどの音楽に出会い、音楽の道に進みたいと思いましたが、父親は芸能界入りに父親は反対。
1年間、父親を説得して許しをもらいホリプロに所属。
子役時代の映画を見ていたドラマーの田辺昭知さんに誘われ、1962年11月、16歳の時にバンド「ザ・スパイダース」にボーカルとして加入。
高校卒業後は音楽活動に専念しました。

堺正章の学歴

堺正章の学歴

小学校  鎌倉市立御成小学校
中学校  鎌倉学園中学校
高校   鎌倉学園高校
大学   進学していません

歌手から俳優、司会者に転身

ザ・スパイダースは1965年5月に『フリフリ/モンキー・ダンス』でデビュー。
1966年9月に発売した作目のシングル『夕陽が泣いている』は120万枚を超える大ヒットを記録しました。
グループサウンズブームが終わったことから、1969年の夏頃からライブでの観客数の落ち込み、個々のメンバーに人気が高かったことからソロ活動が優先されるようになり、1970年にバンドは解散。
ソロで歌手活動をしながら俳優、司会者として活動し、1970年から出演したドラマ『時間ですよ』(TBS)は最高視聴率33%を記録し俳優としての知名度が上昇。
1978年10月から放送された『西遊記』(日本テレビ)では主人公の孫悟空を演じ、子供を中心に大人気となりました。

1969年から1981年までは歌番組『紅白歌のベストテン』(日本テレビ)、1981年から1986年までは『ザ・トップテン』(日本テレビ)の司会も務め司会者としても活躍しました。

結婚歴や妻、子供

堺正章さんの結婚歴は3度。
1974年、28歳の頃に一般女性と結婚しましたが、6年後の1980年に離婚
離婚の理由ついては「私が家庭生活に向いていなかった。全て自分の責任」と話し、慰謝料は1億円とも言われました。

1989年9月、43歳の時に15歳年下でタレントの岡田美里さんと再婚
子供は1990年10月に長女の菊乃さん、1994年3月に次女の小春さんが誕生しましたが、結婚12年目の2001年に離婚。
2001年7月に岡田さんは『「しあわせ」のかたち』を出版し、出版会見で離婚の理由について聞かれ、「最初に離婚を考えたのは5年くらい前。堺のそばで妻をやっていくのが大変でした。お中元やお歳暮で生きたクルマエビや殻つき生ガキ100個とか届いて、食べたいものも食べられない。宅配便が届かない日がない。礼状を書くのもすべて私」と明かしました。
離婚後は岡田さんが子供を引き取りましたが、堺さんも定期的にあっていたといいます。

2011年、65歳の時に、22歳年下の一般女性と再婚しました。

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