「ギャランドゥ」や「ブルースカイ ブルー」のヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さん。
何度も脳梗塞に見舞われました。
この記事ではさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
西城秀樹の学歴
西城秀樹の小学校
西城秀樹さんの出身小学校は 広島市立尾長小学校
1955年、広島県広島市東区生まれ。本名は木本 龍雄(きもと たつお)。 父親は不動産業、飲食店、パチンコ屋など多くの事業を手掛けていた実業家。 9歳年上の姉と2歳年上の兄がいる3人きょうだいの末っ子。
父親はとても厳しい人で、父親が帰宅すると家族全員が玄関で正座して出迎えていたといいます。
ジャズギターが趣味だった父親の影響で、幼少期から洋楽に親しみ、小学3年生の時にはジャズスクールに通ってエレキギターを習い、その後、ベース、ドラムも習得。
5年生の時には中学生だった兄とバンド『ベガーズ』を結成し、ドラムとハモリを担当。
小学生ドラマーとして知られた存在だったといいます。
西城秀樹の中学校
西城秀樹さんの出身中学校は 広島市立二葉中学校
中学では美術部に所属し、校内の絵画コンテストでは毎回入選し、二科展に応募したこともありました。
中学時代もバンド活動を続け、中学1年生の時には中学3年生だった兄と、中学校の文化祭のステージで演奏を披露。
兄が中学校を卒業したため、2年生の時に『ベガーズ』は解散。
その後はバンド『ジプシー』を結成し、ボーカルを努め、『ジプシー』でヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト第一回、第二回に出場し、中国大会で優勝しました。
西城秀樹の高校
西城秀樹さんの出身高校は 山陽高校 (偏差値40~51)
広島市西区観音新町4丁目にある男女共学の私立高校。
1907年に創立され歴史高校で、1945年8月6日の 広島市への原子爆弾投下では、全校舎・付属建物及び備品のすべてを焼失しています。
男女共学になったのは2011年で、それまでは男子校でした。
全国高等学校サッカー選手権大会に8回出場し 、優勝経験もあるサッカーの強豪校で、多くのサッカー選手をは輩出しています。
高校時代もバンド『ジプシー』での活動を続け、ライブハウスで演奏しながら、ビアガーデンなどで演奏するアルバイトもしていました。
高校1年生の時に、当時の広島の音楽シーンの中心だったR&B喫茶『パンチ』から声がかかり、レギュラーバンドになったこがきっかけで、東京の芸能関係者にスカウト。
当時はロックの世界でドラマーになることが夢でしたが、尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』を聴いて歌謡曲のイメージが一変し歌手デビューを決意。
厳格な父親は芸能界入りに猛反対しましたが、その反対を押し切り、高校1年の2学期に家出同然で上京し、高校は明治大学附属中野高校・定時制に転校。
東京都中野区東中野三丁目にある男女共学の私立高校で、定時制は2003年に廃止になっていますが、それまでは多くのタレントやアイドル、文化人などを輩出しました。
西城秀樹の経歴
1972年3月25日、16歳の時にシングル『恋する季節』で歌手デビュー。
同年の日本レコード大賞の第14回最優秀新人賞候補に名前が上がりましたが、1票差で選出されませんでした。
1973年5月に発売した5枚目のシングル『情熱の嵐』が6位となり、オリコン週間チャートで初のベストテン入りし、9月に発売した6枚目の『ちぎれた愛』が初の1位を獲得。
同年11月に『ハウス バーモントカレー』のCMに出演し、「ヒデキ、感激!!」のセリフが生まれました。
同年の『第15回日本レコード大賞』歌唱賞を獲得しましたが、『第24回NHK紅白歌合戦』は落選。
1974年1月からドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS)にレギュラー出演し、平均視聴率31.3%を記録。
同年8月に発売した10枚目のシングル『傷だらけのローラ』で、2年連続『第16回日本レコード大賞』歌唱賞を受賞し、『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。
1978年8月の『ブルースカイ ブルー』で第20回日本レコード大賞・金賞を受賞。
1979年2月の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』では、オリコンチャートで5週連続1位を獲得。
1983年2月には、西城秀樹さんの代名詞になった『ギャランドゥ』で、日本レコード大賞で6年連続となる金賞を受賞しています。
シングルは2009年8月までで87枚をリリースしました。
西城秀樹の妻や息子
西城秀樹さん結婚したのは2001年5月、46歳の時でした。 妻は18歳年下で元OLの美紀さん。
馴れ初めはお見合いだったと妻の美紀さんが著書で明かしています。
子供は娘が1人と息子が2人で、長女の莉子(りこ)さんが2002年6月、長男の慎之介(しんんおすけ)さんが2003年9月、次男の悠天(ゆうま)さんが2005年1月に誕生しました。
長男の慎之介さんは2023年12月に芸能界デビューしました。
西城秀樹の死因や晩年
西城秀樹さんは2018年5月16日に63歳で他界。
死因は急性心不全でしした。
2001年秋に脳梗塞を発症し、2003年6月に2度目の脳梗塞を発症。
軽度の言語障害の後遺症は残りましたが、2006年9月に復帰し、3年ぶりに『めぐり逢い/Same old story – 男の生き様 -』を発売。
没後に妻の美紀さんは『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』を出版し、著書の中で西城さんは1996年頃に糖尿病の診断を受け、インスリンを投与していたこと、2回と報道された脳梗塞は「隠れ脳梗塞」を含めると計8回発症していたこと、2014年には脳の神経細胞が徐々に脱落する「多系統萎縮症」の診断を受けていたことが明かされました。
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