学園ドラマ「これが青春だ」で女優デビューし、石井ふく子作品の常連として活躍した俳優の音無美紀子さん。
俳優の地井武男さんとは子供の頃から交流がありました。
この記事では音無美紀子さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。
音無美紀子の学歴
音無美紀子の小学校
音無美紀子さんの出身小学校は 大田区立松仙小学校
東京都大田区生まれ、6人姉妹の4女、両親はオーダーメイドの婦人服店を経営。
家は裕福で、実家にはお針子さんなどの一緒に住んでしました。
習い事は日舞やモダンバレエなど。
小学校の時は目立ちたがり屋で、運動会では1番、合唱コンクールでは指揮者を務めました。
小学5年生の時に近所の商店街で映画のロケをしているのを見て俳優に張ることを決意しています。
同じ頃にエースのジョーと呼ばれた巨人の城之内投手が巨人に入団し、付き合いのあった母親が「巨人の多摩川グラウンドに近い下宿を探してほしい」と頼まれ、自宅のすぐ傍に部屋を見つけると、城之内さんの従兄弟にあたる、当時、18歳だった地井武男さんも同居を始め、それから城之内さんと地井さんは時々、音無さんの家にご飯を食べ来るようになり、交流を持つとすぐに兄のような存在になったそうです。
音無美紀子の中学校
音無美紀子さんの出身中学校は 頌栄女子学院中学校(偏差値65)
東京都港区白金台にある私立の女子校、完全中高一貫制の学校です。
出身者には俳優の高橋ひとみさん、シンガーソングライターのFayrayさんなどがいます。
中学時代には東京宝塚に憧れて、宝塚音楽学校受験のための学校に通いましたが、歌が下手だったことと、父親の反対で宝塚受験は断念しました。
音無美紀子の高校
音無美紀子さんの出身高校は 頌栄女子学院高校(偏差値-)
内部進学で、頌栄女子学院高校に進学しました。
完全中高一貫制のため高校での生徒募集はなく偏差値はありませんが、東京大学にも合格者を出すレベルの高校です。
宝塚音楽学校の受験を諦めた後、高校時代の16歳の時に地井武男さんが映画デビューし、俳優だと知り、
『実は私も女優になりたい』
と相談すると、劇団若草を紹介してくれて、高校2年生の時に入団し、高校在学中の1967年10月に竜雷太さん主演の『これが青春だ』の最終回で女優デビューしました。
音無美紀子の経歴・生い立ち
1967年に『これが青春だ』にゲスト出演してデビュー後、次番組の『でっかい青春』でバレー部員 役でレギュラー出演しました。
1968年に大河ドラマ『竜馬がゆく』に楢崎君江 役で出演。
1971年3月、TBSの昼ドラマ『お登勢』で主演に抜擢。
1975年、26歳の時に、5歳年上の俳優の村井國夫さんと結婚。
地井武男さんを通じて、村井國夫さんと出会い、音無美紀子さんが一目惚れ、その後、『お登勢』で地井武男さんと村井國夫さんと共演し、村井國夫さんと仲良くなり交際に発展。
地井武男さんには「村井だけはやめとけ」と言われたそうです。
子供は娘と息子の2人で、長女の麻友美さんが1982年、長男の健太郎さんが1986年に誕生。
娘の村井麻友美さんは舞台を中心に出演する女優で、2007年にはチョーヤ梅酒のCMで親子共演しています。
息子の村井健太郎さんも舞台俳優で2023年にはミュージカル『月に咲く花』でミュージカル初主演を務めました。
音無美紀子さんは結婚、出産後も女優を続け、2時間ドラマや、石井ふく子さん、橋田壽賀子さんの作品の常連として活躍しました。