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大谷亮平の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 大谷亮平

韓国で12年間活躍していた俳優の大谷亮平さん。
小学校jから大学までずっとバレーボールをやっていました。
この記事では大谷亮平さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

大谷亮平の学歴

大谷亮平の学歴

小学校  不明
中学校  吹田市立西山田中学校
高校   清風高校
大学   亜細亜大学

大谷亮平の小学校

大谷亮平さんの出身小学校は 不明

1980年10月1日生まれ、大阪府吹田市出身。
父親は会社員で、母親は小学校の教師、2歳年上の姉と6歳年下の妹がいる3人きょうだいの長男といて誕生しました。

幼少期は恥かしがり屋で、ピアノを習っていましたが、小学生の時のピアノの発表会で緊張しすぎて頭が真っ白になり、先生に助けてもらって最後まで何とか演奏できましたが、それ以来人前で披露はできなくなったといいます。
出たがりは性格でもなく、学芸会でも裏方でした。
子供の頃から相撲が好き、帯を回し代わりにして、布団を相手にひとりで相撲ごっこをしていたそうです。

子供の頃から運動が好きで野球やドッジボールをしていると、その姿を見た近所のおばさんに誘われ、小学4年生の時にバレーボールを始めました。
入ったクラブは1度入ったら辞められない厳しいクラブで、練習もスパルタ指導だったといいます。

大谷亮平の中学校

大谷亮平さんの出身中学校は 吹田市立西山田中学校

中学時代はバレーボール部に所属。小学校で入っていたバレーボールクラブのメンバーは全員バレーボール部にしたそうです。
中学時代に一気に身長が伸びて、エースアタッカーとして活躍。

中学3年生の時には大阪大会で優勝。大阪ではスター選手扱いで、当時は「自分が一番うまい」とうぬぼれていたと話し、将来は全日本の選手になり、オリンピックに出場したと本気で思っていました。

大谷亮平の高校

大谷亮平さんの出身高校は 清風高校 (偏差値61~71)

大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町にある私立の男子校。
出身者には歌手の中西保志さん、お笑い芸人の今田耕司さん(定時制)などがいます。

バレーボールの強豪校で、スポーツ推薦で入学しました。

『一度くらいは日本一を経験してみたいと考えたことがあったんです。そのためには、国体に大阪代表として先発で出るしかない。それでセッターに転向しました。』

中学時代に伸びた身長も180cmで止まり、高校時代には190cmを超える選手ばかりになり、アタッカーからセッターに転向。
高校3年生の時には主将を務め、大阪代表選抜チームにも選出され主将として国体に出場しましたが3回戦で負けたといい、全国から集められた選手たちに全くついていけず、自分はプロになれないと認めざるを得なかったといいます。

大谷亮平の大学

大谷亮平さんの出身大学は 亜細亜大学 (偏差値45~59)

東京都武蔵野市境5丁目にある本部がある私立大学。
大学にはスポーツ推薦で入学し、大学でもバレーボール部に所属していました。

『今まで勉強していないからスポーツ推薦で行くしかない。それで東京の大学に推薦で入りバレー部に入部するのですが、レギュラーにもなれず、惰性でバレーを続けていた感じでした。』

東京の大学に入ったのは、なんとなく大阪を出たかったからだといい、大学時代にはバレーボールのプロになるのは諦めていて、将来のやりたいことも見つからず、

『このまま何も見つからなかったら体育教師にでもなろうかな』

とのんきに考えていたといい、大学卒業後は就職せずにフリーターとしてアルバイトを掛け持ちしていました。

大谷亮平の経歴 モデルデビュー

大谷亮平のプロフィール

名前   大谷亮平
生年月日 1980年10月1日
出身   大阪府吹田市
身長   180cm
血液型  O型
所属   アミューズ

大卒業後、アルバイト先の1つ、喫茶店で働いてきた時にバイト先のモデルをしていた先輩から、

『大谷くんなら絶対いけるよ』

と乗せられて、モデル事務所の人と会ってみると所属が決まったといいます。

広告の仕事でモデルデビューしましたが、訳もわからず撮影を終えて、モデルになった実感はなかったといいます。

韓国で活躍したきっかけ

モデルの仕事を始めて少し経った2003年、23歳の頃に韓国のダンキンドーナツのCMのオーデションを受けると監督に気に入られ合格。

CMが放送後、明洞でCMの巨大ポスターが貼られていると聞いて記念撮影を撮ろうと向かうと、いきなりたくさんの人に囲まれたっといいます。

CMは高く評価され、その後、本格的に韓国でのオファーをもらい、身体ひとつで韓国に渡り、CMを中心に出演。。
韓国語は勉強したものの、当初は言葉の面では難しさがありましたが、2006年からシチュエーション・コメディ番組『ソウルメイト』に出演し以降は韓国で俳優として活動。
当初は2年契約でしたが、結局は約12年間韓国で過ごしました。

『やっぱり言語がネイティブじゃないから、重要なキーとなる役であっても、メインを演じることができない。外国人をメインにしてもらうのはこの先も無理だろうなと限界を感じたときに、日本からお話をいただいて。』

2015年に釜山国際映画祭でアミューズのスタッフと出会い、2016年にアミューズと契約。
同年4月にドラマ『ラヴソング』(フジテレビ)で日本デビューし、同年10月から放送された『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS)で連続ドラマ初レギュラー出演を果たしブレイクしました。

大谷亮平の結婚歴や妻、子供

大谷亮平さんは2024年現在、結婚歴はなく独身で、妻、子供はいません。

『(結婚願望は)普通にあります。でもまだ、いつかは……くらいにしか思っていません。』

2017年1月にはインタビューで結婚願望はあると話しています。

韓国時代には交際していた女性がいて結婚も考えていましたが、日本で仕事を始めたこともあり破局したといいます。

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