「さざんかの宿」のヒット曲で知られる演歌歌手の大川栄策さん。
この記事では大川栄策さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
大川栄策の経歴・プロフィール
大川栄策の小学校・中学校 空手で九州大会優勝
大川栄策さんの出身小学校・は 大川市立大川小学校・大川市立大川中学校
福岡県大川市生まれ。本名は荒巻 逸造(あらまき いつぞう)。3人兄弟の末っ子。
大川市は「家具の街」として知られ、実家は家具製造業で手広経く経営。
子供の頃は家具職人のたたき上げの父親の姿に憧れ、強い男になろうと一番硬派だと思った空手を習っていました。
町の道場で練習に明け暮れ、道場の仲間を九州大会に出場し団体で優勝を経験。
またこの頃に、ラジオで聞いた村田英雄さんお歌声を聞き憧れ、歌手を目指したいと思うようになったといいます。
大川栄策の高校
大川栄策さんの出身高校は 佐賀商業高校 (偏差値54)
佐賀県佐賀市神野東4丁目にある男女共学の佐賀県立高校。
設置学科は商業科、情報処理科、グローバルビジネス科。
高校時代も空手をやり、野球もやっていました。
『先生は大作曲家として「柔」や「東京五輪音頭」など、ミリオンセラーを連発していた時期。九州に戻り弟子入りの話をしたところで、周りが誰も信じてくれず相手にされなかった訳です。』
高校1年生の時に同郷の縁と父親の友人の力もあり、昭和を代表する作曲家の古賀政男さんのテストを受けるチャンスをもらい上京して受けると、古賀さんは大川さんの歌声に興味を示し「弟子入り」の言葉をもらいましたが、地元に戻りそのことを話しても信じてもらえず、高校在学中に弟子入りは叶いませんでした。
大川栄策の学歴
「さざんかの宿」が大ヒット
高校卒業後に再び弟子入り志願のために単身上京。
古賀さんのもとを訪ねましたが、当時の古賀さんには歌・作曲・ギター・マンドリンなどあらゆるジャンルの現役の弟子が300人以上いたといい、当初は門前払いで会うこともできなかったといいます。
数ヵ月後にとうとう熱意が通じ弟子入り。指導を受けることができ、デビューの直前には内弟子となりました。
1969年6月10日、19歳の時に兄弟子のアントニオ古賀さんのB面『目ン無い千鳥』で念願の歌手デビュー。
同曲は1940年の映画『新妻鏡』の主題歌で、1965年には島倉千代子さんがカバー曲としてシングルを発売。
1969年の大川さんの『目ン無い千鳥』はリバイバルヒットしました。
その後も古賀さん作曲の歌を歌い続け、デビュー13年目の1982年8月1日に発売した32枚目のシングル『さざんかの宿』がロングヒットとなり、累計180万枚を売り上げる大ヒットを記録。
1983年のオリコンチャートでは年間1位を獲得。同年の第34回NHK紅白歌合戦出場を果たし、以降、4年連続で出場しました。
人気歌手となり、フジテレビの『スターどっきり丸秘報告』では色仕掛けにひっかかる「お色気どっきり」の常連でした。
シングルは2023年4月までで114枚発売しています。
結婚歴や妻、子供
大川栄策さんが結婚しているかは不明。
44歳の頃に結婚したとの情報もありましたが確証はなく、本人が結婚や子供について言及したことはないようです。