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小野伸二の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 小野伸二

ボールタッチの柔らかさから「天才」と言われた元プロサッカー選手の小野伸二さん。
この記事では小野伸二さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

小野伸二の経歴・プロフィール

小野伸二のプロフィール

名前   小野伸二
生年月日 1979年9月27日
出身   静岡県沼津市
身長   175cm
体重   74kg
血液型  O型

小野伸二の小学校 スカウトされてチーム入り

小野伸二さんの出身小学校は 沼津市立今沢小学校

1979年9月27日生まれ。静岡県沼津市出身。
10人兄弟の6番目として生まれ、母子家庭で育ちました。

幼少期にマラドーナのプレイをビデオで見て衝撃を受け、サッカーを始めましたが兄弟も多く、母子家庭だったこともあり小学生の時にはサッカー少チームなどには入っていませんでした。
ある日、いつものようにひとりで家の近くでサッカーボールを蹴っているとサッカーチームの指導者にスカウトされたそうです。

『「指導者が『やってみないか』って言ってくれて」とスカウトされた。しかし、「そういうお金がないのもわかってるから」と子供ながら家庭事情を考えた小野は入団の申込書を母親に内緒で記入して提出した。』

スカウトした指導者は「何か事情がある」と察し、小野さんの自宅を訪れ「全部面倒見る」と言ってくれ、今沢サッカースポーツ少年団に所属。
後に小野さんは「この出会いがなかったら、たぶんサッカーやれてない」と振り返っています。

その後、小野さんはすぐに頭角を現し、1991年、12歳で日本サッカー協会のトレセン制度における最上位の講習会「ナショナルトレセン」に参加。
この時から同世代の中で突出したサッカーセンスを持ち、同じトレセンに参加していた後に同じ日本代表にはる稲本潤一さんは、小野さんのプレーを見て衝撃を受けたといいます。

1992年1月に開催れた「バーモントカップ第1回全日本少年フットサル大会」(現在のJFAバーモントカップ 全日本U-12フットサル選手権大会)では沼津FCの一員として参加し、準優勝をおさめ、この大会で小野さんの存在がサッカー関係者の間し広く知れ渡りました。

小野伸二の中学校 13歳でU-16日本代表

小野伸二さんの出身中学校は 沼津市立今沢中学校

中学入学後、1993年に13歳でU-16日本代表に初選出。

『その時、お母さんが乳がんになって、手術痕を見せてもらって。それまで反抗というか、口ごたえとか、まだ思春期だからそういうもあったけど、絶対にそういうことを言っちゃいけないんだなって』

1993年中学2年生の時にJリーグが開幕。同年に母親が乳がんを患い手術し、その傷跡を見せてもらったことで、プロサッカー選手になって「絶対に親を幸せにしてやろう」と決意したといいます。
1994年には第6回U-16アジアユース選手権で優勝しました。

小野伸二の高校

小野伸二さんの出身高校は 清水商業高校 (偏差55)

静岡市清水区桜が丘町にあった男女共学の静岡市立高校。設置学科は商業科のみ。
2013年3月に静岡県立庵原高校と統合され、閉校になり、同年4月には跡地に静岡市立清水桜が丘高校が開校しました。

サッカーの強豪校で、チームには小野さん以外にもプロサッカー選手になるメンバーも複数いましたが、当時の静岡のサッカーのレベルは高く、全国高等学校サッカー選手権大会には静岡県予選で敗退し本大会出場は一度も果たせませんでした。
高校3年時1997年の全日本ユース選手権では準優勝、インターハイベスト16でした。

小野伸二の学歴

小野伸二の学歴

小学校  沼津市立今沢小学校
中学校  沼津市立今沢中学校
高校   清水商業高校
大学   進学していません

最高年俸は2億円

高校卒業の時には、Jリーグの13クラブからオファーを受け、1998年に浦和レッズに加入。
年俸は400万円でした。

同年に18歳でフル代表初出場を果たし、1998年フランスW杯の日本代表に選出され、第3戦のジャマイカ戦で途中交代から15分間出場。
浦和では合計9得点を挙げ新人王とJリーグベストイレブンを受賞ました。

1999年にはナイジェリアで開催されたFIFAワールドユースで、キャプテンとして準優勝に貢献しベストイレブンにも選出。
しかし、7月のたシドニーオリンピックのアジア地区一次予選、対フィリピン戦で手ディフェンスに後方からのタックルを受け、左膝靭帯断裂の重傷を負い、長期離脱を余儀なくされました。

2001年には日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001にで、日本代表のレギュラーとして準優勝に貢献し、同年にオランダのフェイエノールトに移籍。年俸は1億円。

フェイエノールト移籍後は監督の意向で、中盤でゲームを組み立てる役割を与えられ、主に守備的MFでプレー。
2004年には最高年俸の2億円になり、翌年の2005年も2億円でした。
2006年、27歳で浦和レッズに復帰。年俸は1億円でした。
2008年にドイツブンデスリーガのVfLボーフムに移籍、2010年1月には清水エスパルスに移籍。
2012年9月からはオーストラリア・Aリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍、し、2014年1月には北海道コンサドーレ札幌に移籍。
2019年8月に沖縄のFC琉球に移籍し、2021年1月には北海道コンサドーレ札幌に復帰。

2023年9月27日、44歳の誕生日を迎えた日に引退を発表しました。
引退後は、2024年1月14日に北海道コンサドーレ札幌のアンバサダーに就任することが発表されました。

結婚や妻、子供

小野伸二さんは2001年7月に、21歳で結婚しています。
妻は1歳年上モデルの千恵子さん。千恵子さんは結婚時、大学生で、同年に小野さんはオランダのフェイエノールト移籍しています。

子供は娘が2人で、2004年12月に長女の夏蓮(かれん)さん、2007年3月に次女の里桜(りお)さんが誕生しています。

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