岡崎体育の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 岡崎体育 歌手・ミュージシャン

楽曲「MUSIC VIDEO」のミュージックビデオがきっかけでブレイクしたシンガーソングライターの岡崎体育さん。
俳優としても活動し朝ドラや大河ドラマにも出演しています。
この記事では岡崎体育さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

岡崎体育の学歴

岡崎体育の学歴

小学校  宇治市立莵道(とどう)第二小学校
中学校  宇治市立宇治中学校
高校   南陽高校
大学   同志社大学

岡崎体育の小学校

岡崎体育さんの出身小学校は 宇治市立莵道(とどう)第二小学校

1989年7月、兵庫県西宮市で生まれ。本名は 岡 亮聡(おか あきとし)。兄弟はおらず一人っ子。
両親は離婚し母子家庭で育ち、3歳の頃に京都府宇治市へ引っ越しています。
母親の職業はMC業で、イベントや結婚式で司会を務めていました。
小学生の頃の国語の授業の朗読では、母親の指導が厳しく、「間の取り方が悪い」、「抑揚がついていない」など指摘され、いつも泣きながら練習していたといいます。
岡崎さんの小学校には、本が上手の読めたかを親が評価する「本読みカード」というものがあって、そこで母親はとても辛辣でだったそうです。
担任の先生は母親が司会業なのは知っていたので、「岡崎くんとこは仕方ないよね」と同情してくれていたといいます。

母親がロックバンド『クイーン』好きで幼少期から洋楽を中心に音楽に親しんでいました。
小学1年生の頃にはピアノを習い始めましたが、習っていた先生が大学生で、就職活動に専念するという理由でわずか3か月で辞めさせられたそうです。

小学生の時には地元の野球チームにも所属し、ポジションは外野手でした、

岡崎体育の中学校

岡崎体育さんの出身中学校は 宇治市立宇治中学校

中学時代は軟式テニス部に所属していました。
中学1年生の時に、友達に借りたエミネムのCDを聴いて衝撃を受け、音楽に興味を持つようになり、お小遣いの大半はCDを買うことに費やすようになりました。
この頃にはニンテンドーDSのゲームソフト『大合奏!バンドブラザーズ』のオマケ機能の作曲コンテンツで作曲を始めていますが、当時はバンドをを組もうという発想には至らなく、ずっとひとりでゲームで作曲をしていました。

中学校では学級委員や合唱コンクールのリーダーをしていたこともありましたが、目立つタイプでも、地味なグループでもなかったと話しています。
中学生の時には映画監督になりたいと思っていたそうです。

岡崎体育の高校

岡崎体育さんの出身高校は 南陽高校 (偏差値65~67)

京都府木津川市兜台六丁目にある男女共学の県立高校。設置学科は普通科、サイエンスリサーチ科。
出身者には俳優の泉原豊さん、大倉士門さんなどがいます。
高校時代は公式テニス部に所属し、2年生の時には京都府大会でベスト4まで進出しました。

高校の時に通販でフェンダーの4万円のギターを購入し、独学で練習を始めましたが、Fコードが押えられず一度は挫折し、高校卒業するまでは全く楽器は弾けませんでした。

岡崎体育の大学

岡崎体育さんの出身大学は 同志社大学 文化情報学部(偏差値61)

京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町に本部がある私立大学。 大学では統計学を学んでいました。
大学時代に初めてバンドを結成しましたが、全員初心者でそれぞれ弾けそうな楽器を選び、ベースが余ったので岡崎さんはベースを担当することになったといいます。
ベースは持ってなかったので買いに行くと、デジタル&ドラム館で店員にDTMソフトを執拗に勧められ、「ベースを買いに来たんですけど」と伝えると、

『この中にベースの音があるから! これからの時代DTMやで』

と言われ、9万9000円の音楽制作ソフトを購入。これが後の音楽活動のきっかけになっています。

ベースはその後人から譲ってもらい、大学在学中はバンド『愛新覚羅ヌルハチ』で活動し、解散後はユニット『ヴァーツヤーヤナ・カーマ・スートラ』を結成し活動。
ニコニコ動画ではボカロP「シトキアP」としても活動をしていました。

就職活動はあまりヤル気はなく、周りが就職しているし、母親を安心させるとめにどこからか内定を貰おうぐらいの意識でやっていたといい、卒業後はIT企業に就職しています。

岡崎体育の経歴・ music videoでブレイク

岡崎体育のプロフィール

名前   岡崎体育
生年月日 1989年7月3日
出身   京都府宇治市
身長   175cm
血液型  A型
所属   ソニー・ミュージックアーティスツ

2012年に大学卒業後は一度就職しましたが、音楽の夢を諦められずに半年で退職。

4年でメジャーデビューできなかったら就職すると約束して、地元のスーパーマーケットでアルバイトをしながら、自主制作でのCDリリース、ライブやフェスに参加するなど音楽活動を始めました。

岡崎体育の由来は母親の芸名で、当初は「岡体育」で活動しようと思っていましたが、語呂が悪かったので母親が司会業で名乗っていた「岡崎」からとって「岡崎体育」にしたといいます。

2014年末に、出演していたライブを観たソニーグループの新人発掘のスタッフの目に留まり、育成契約を結び、その後もアルバイト続けながら活動を続け、2016年5月にアルバム『BASIN TECHNO』でメジャーデビュー。オリコンチャートは初登場9位にランクインしました。

同年7月には、ラジオ番組『岡崎体育のオールナイトニッポンR』が放送。
10月には『ミュージックステーション』(テレビ朝日)に出演しで音楽番組初出演を果たしました。

2016年春にアルバム『BASIN TECHNO』の中の曲『MUSICVIDEO』のミュージックビデオ(MV)が公開。
同曲は「カメラ目線で歩きながら歌う」「泣かす・踊らす・音楽聴かす・窓にもたれさす・倒れさす」など日本のロックのMVにおける「あるある」が歌詞になっていて、岡崎さんがそれをMV再現し、公開後はSNSで話題を集めブレイク。
2017年3月には、『MUSIC VIDEO』のミュージックビデオが、第20回文化庁メディア芸術祭で「エンターテインメント部門 新人賞」を受賞しました。

2017年6月に発売したセカンドアルバム『XXL』はオリコンチャート初登場2位を記録。

2018年12月にはNHK連続テレビ小説『まんぷく』にチャーリー・タナカ 役で出演しドラマ初出演。
以降は俳優としても活動し、ドラマを中心に活躍。
2022年1月から放送された『DCU~手錠を持ったダイバー~』では6人目のダイバー・森田七雄 役で出演。
2023年6月には大河ドラマ『どうする家康』に鳥居強右衛門 役で出演しました。

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