両親共に俳優で、映画『秋津温泉』で主演を務めたことで知られる女優の岡田茉莉子さん。
夫は映画監督の吉田喜重さんでした。
この記事で女優・岡田茉莉子さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。
岡田茉莉子の学歴
岡田茉莉子の小学校
岡田茉莉子さんの出身小学校は 品川区立旗台小学校
東京市渋谷区代々木で生まれ、生後間もなく京都府に移りました。
父親は戦前の無声映画で活躍したスター俳優の岡田時彦さん、母親は元宝塚歌劇団男役だった田鶴園子さん、両親共に日本人でハーフではありません。
生まれた翌年の1934年に父親が結核で他界、その後は母親の妹で宝塚のスターだった御幸市子さんと東京市大森区北千束(現・大田区)で生活。
幼少期は病弱で、ジフテリアなど多くの病気になったといいます。
1938年に母親はダンス講師の資格を取得し、何も言わずに上海に行き、ダンスを教え始めした。
小学校は赤松小学校に入学、1940年に叔母の御幸さんが東宝映画計画部でプロデューサーをしていた山本紫朗さんと結婚したため、大阪市宗右衛門町の母親の実家に転居。
1942年に祖父が他界すると、母親のいる上海に渡りましたが、外国の生活に馴染めず、1944年に単身帰国、品川区の叔母・御幸さんの嫁ぎ先に身を寄せ、旗台小学校に入学しました。
小学生の頃は無口で人見知りが激しかったそうですが、1945年、小学6年生の時に静岡県に集団疎開すると疎開先の集団行動で、人見知りだけでなく食べ物の好き嫌いもなくなったといいます。
女学校受験のために東京に戻ると、戻った当日の3月10日夜に東京大空襲に遭遇し、叔母夫妻の宅の防空壕でおびえながら夜を明かしたたそうです。
岡田茉莉子の中学校・高校
岡田茉莉子さんの出身中学校・高校は 香蘭高等女学校
現在の香蘭女学校中等科・高等科です。
東京都品川区旗の台にある完全中高一貫制の私立の女子校で、中等科の偏差値は62。
出身者にはタレントの黒柳徹子さん、女優の片桐はいりさん、大塚寧々さんなどがいます。
香蘭高等女学校は旧制度で修学期間5年間、中学校と高校を兼ねています。
1945年4月に香蘭高等女学校に入学後、東京への爆撃の恐れから、入学2週間で新潟県新潟市に叔母夫婦と縁故疎開し、新潟市では新潟市立高等女学校に転校。
現在の万代高校です。
新潟県新潟市中央区沼垂東にある新潟市立高校で、偏差値は56~60。
転校後間もなく新潟も空襲に襲われ、近郊の赤塚村に疎開、2日後に終戦を迎えました。
学校までは片道4kmで、冬には雪が積もった中で通い身体が丈夫になったそうです。
高校時代に演劇部に所属、部長も務め、県の演劇コンクールで優勝も経験。
演劇の衣装を買うために夏休みには百貨店、冬休みには喫茶店でアルバイトもしていました。
演劇部の友人と映画館でサイレント映画『瀧の白糸』を鑑賞し、帰宅してそのことは母親に話すと母親は泣き出し、そこで初めてその映画の主演俳優が父親だと知らされ、翌日には父親を見るために1人で映画館に行ったそうです。
高校卒業後には上京し、再び叔母夫婦と暮らしました。
岡田茉莉子の経歴
1951年に、東宝映画プロデューサーだった叔父の勧めで、東宝ニューフェイスの第3期として、東宝演技研究所に聴講生としてオーディションなしで入所。
同年に映画『舞姫』の準主役に抜擢され、女優デビューしました。
コケティッシュな美貌と演技力で頭角を現し、東宝映画の主演を務めるスターとなり、1958年の映画『悪女の季節』で
第13回毎日映画コンクール・助演女優賞
を受賞。
1960年に父親の盟友だった小津安二郎さんの監督映画『秋日和』に出演、1962年には主演映画『秋津温泉』が大ヒットし、
第17回毎日映画コンクール・主演女優賞
を受賞しました。
1964年に映画監督の吉田喜重さんと結婚。
挙式はドイツのバイエルン州で行いました。
子供はいませんでした。
吉田喜重さんは2022年12月8日に、89歳で亡くなっています。
1965年にフリーとなり、1966年には夫の吉田喜重さんと独立プロダクション『現代映画社』を設立。
1970年になるとドラマにも多く出演しましたが、映画が斜陽になった1970年代以降も映画には出演を続け、1973年の映画『戒厳令』では女優としてではなく、プロデューサーを務めました。
テレビドラマでは1967年も大河ドラマ『三姉妹』で主演、大河ドラマ初の女性主役作品でした。
2時間ドラマでは『温泉若おかみの殺人推理』シリーズ(テレビ朝日)で1996年から2019年までの23年間、大女将・1996年から2019年までの23年間に渡り役を演じました。