和歌山県出身の俳優で遅さ咲きでブレイクした岡部たかしさん。
この記事では岡部たかしさんの学歴、経歴、生い立ちや、俳優になったきかっけ、妻や子供などについて紹介しています。
岡部たかしの経歴・プロフィール
岡部たかしの小学校・中学校
岡部たかしさんの出身小学校・中学校は 不明
和歌山県和歌山市出身。父親、母親、3歳年下の弟の4人家族。
父親は会社員、母親は喫茶店などでパート勤務していました。
幼稚園の頃は泣き虫でケンカで泣かされて帰ると母親に「(相手に)唾でも吐いてくるぐらい強くなれ!」と怒られていたといいます。
小学校、中学校は和歌山市内の公立学校のようですが学校名は不明
子供の頃は目立ちたがり屋でものまねなどをして、みんなを笑わせることが好きだったそうで、5年生の時には担任の先生から「ひょうきん大賞」をもらったほどでした。
スポーツは野球をやっていたそうです。
中学時代は『ビー・バップ・ハイスクール』などのヤンキーものの映画が流行り、服装を真似たくて改造しまたが、母親が怖くて友人宅で着替えて学校に通っていたといいます。
岡部たかしの高校
岡部たかしさんの出身高校は 和歌山工業高校 土木科(偏差値46)
和歌山県和歌山市西浜三丁目にある和歌山県立高校。
1914年に開校した学校で、2014年には100周年を迎えましした。
工業高校の土木科に入ったのは仲のよい友達が行くというので「じゃあ俺も」と選んだけだといいます。
当時はバブルの最後の頃で就職には困らず、高校卒業後は地元で優良企業といわれる建築会社に就職。
現場監督をしていましたが、仕事が全然面白くなく1年で退職。
その後はトラック運転手、喫茶店でアルバイトするなどフリーター生活をしていました。
岡部たかしの学歴
俳優になったきっかけ
会社を退職後はフリーターをしながら地元の友達を遊んでいましたが、23歳の頃に周りは結婚したりと落ち着き始めました。
「このまま和歌山にいても」と思い始めた頃に当時交際していた彼女が「東京に行きたいなら、私も一緒に行くやん。やりたいことやった方がええよ」と言ってくれ、都会と漠然と芸能界への憧れもあったことから、24歳の時に上京。
上京前に大阪で観て感銘を受けた、柄本明さんが座長を務める『劇団東京乾電池』の研究生のオーディションを受け合格。研究生として入団して1年後の25歳で劇団員に昇格しました。
49歳でブレイク
劇団東京乾電池には3年間在籍した後に退団。
舞台を中心に活動し、30代になると少しずつテレビドラマにも出演するようにんばりましたが、俳優の仕事だけでは食べていくことはできず、警備員、テレホンアポインター、宅配などのアルバイトを続けていました。
40歳の時に所属事務所を移籍したことで、テレビドラマの仕事が増えて、アルバイトをやめることができたといいます。
食べていくことはできるようになりましたが、注目されることはなく、インタビューなどの取材は受けたことがなかったそうです。
ブレイクのきっかけは2022年10月から放送されたテレビドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(フジテレビ)でした。
同ドラマで演じたセクハラ暴言プロデューサー・村井喬一を演じると、これが当たり役となり49歳でブレイクしました。
離婚歴があり子供は息子
岡部さんは20代の時に結婚。結婚相手は一緒の上京した女性で、5歳年上で美容師の女性でした。
2000年、28歳の時に息子が誕生しましたが、岡部さんが芝居に没頭しすぎて夫・父としての役割を果さなくなったことで、息子が6歳の時に離婚。
元妻は息子を連れて和歌山に帰ったといいます。
離婚後、息子とは時折会っていましたが、元妻との交流はありませんでしたが、2011年3月11日の東日本大震災の時に気になって息子に電話をしたところ、元妻が出たそうです。
岡部さんは離婚も月収は20万稼げればいいほうでしたが、毎月7~8万の養育費を払っており、元妻にはそのことを感謝され、その後は定期的に連絡をするようになり、和歌山に帰った時には元妻に許されて家にも入れるようになったといいます。