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温水洋一の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 温水洋一

宮崎県出身で独特の気弱そうな風貌で人気の個性派俳優・温水洋一さん。
俳優になったのは、高校2年の終わり頃に演劇部に入ったことがきっかけでした。
この記事では温水洋一さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

温水洋一の経歴・プロフィール

温水洋一のプロフィール

名前   温水洋一
生年月日 1964年6月19日
出身   宮城県
身長   165cm
血液型  AB型
所属   ワン・ツゥ・スリー

温水洋一の小学校 子供の頃から引っ込み思案

温水洋一さんの出身小学校は 都城市立大王小学校

宮崎県都城市出身。4歳年下の妹がいる2人きょうだいの長男。
父親は陸上自衛隊の自衛官、母親は公務員でした。
幼少期は親が心配するくらい引っ込み思案な子供で、痩せてい身体もあまり丈夫ではなく、よく風邪をひいていたといいます。

小学校は宮崎県都城市大王町にある大王小学校に入学。
小学生時代はドッジボールや野球などみんなで集まってやることはあまり好きではなく、低学年の頃には絵を描いたり、粘土で遊ぶのが好きで、そういう子供が集まってそれぞれ黙々と遊んでいたといいます。
友達とは自分達でルールを作りビー玉などで遊んでいたそうです。

習い事は剣道と卓球で、自分の意志ではなく親に習わされ卓球は好きでしたが、身体が弱いことを両親が心配で習わされた剣道は週3回の朝練がつらく、冬には寒くて泣きながらやっていたといいます。
しかし、練習は1度も休まず小学校を卒業する時にはに皆勤賞のトロフィーをもらったそうです。
ソフトボールチームにも入っていましたが、6年間ベンチでした。

温水洋一の中学校

温水洋一さんの出身中学校は 都城市立小松原中学校

宮崎県都城市大王町にある公立中学校。
小学校、中学時代のあだ名はぬらりひょん。
中学に入った頃から人前で何かをやることが嫌いではなくなり、当時は漫才ブームでお笑いに興味を持ち、高校に入る頃には先生のものまねをするようになったそうです。
ただ、積極的にやるタイプではなく「やれよ」と言われても遠慮しながらやり、でも自宅ではしっかりと練習していたといいます。

温水洋一の高校 好きだった女子の勧めで演劇部に入部

温水洋一さんの出身高校は 都城西高校 (偏差値58)

宮崎県都城市都原町にある男女共学の宮崎県立高校。
出身者には俳優の永瀬正敏さん(後に転校)、安藤ヒロキオさんなどがいます。

高校時代は2年生の終わりから演劇部に入部。
演劇部に入ったのは当時、同じクラスで思いを寄せていた女子の勧めで、彼女は美術部で演劇部の隣の部室だったので、「ひょっとしたら部活が終わってから、一緒に帰ることができるかもしれない」との下心もあって入ったそうです。

当時の演劇部は女子がやるものとのイメージがあり、実際、部員も女子15人に対して、男子は2人だけで少なく、入部は男子が少なかったので大歓迎されたといいます。
発声練習やエチュードなど全ての初めての経験で、演劇にのめり込んでいったそうです。
演劇を特集していた雑誌「ぴあ」で、劇団東京乾電池や青年座、そこに所属する柄本明さんや竹中直人さんのことも知り、高校受験では日本大学・芸術学部を受験しましたが不合格でした。

温水洋一の大学

温水洋一さんの出身大学は 日本福祉大学 社会福祉学部 (偏差値38)

愛知県知多郡美浜町奥田会下前にある私立大学。
同大学の出身者には占い師のゲッターズ飯田さん、俳優の加藤晴彦さん(中退)などがいます。

現役での大学受験失敗後、東京の予備校にかよいながら親戚のやっている中華料理屋でアルバイトをしながら浪人生活を送り、2年の浪人を経て日本福祉大学に入学。
大学では演劇サークルに入りました。
演劇にのめり込み、4年生になりみんなが就職活動をする中、温水さん舞台が観たくて夜行バス乗って上京。
友人宅に居候させてもらいながら、いろんな舞台を観た中の1つが劇団「大人計画」でした。
観たのは50人くらいしか入らない劇場で、旗揚げ前のプレビュー公演。
そこで劇団員募集のチラシをもらい、愛知に戻って考えた末に電話して在学中の1988年に入団し旗揚げに参加しました。
当初は俳優を職業とは考えてはなく、とりあえず舞台に立ちたかったそうです。
大学は4年生で授業もほとんどなかったので、3カ月間東京にいては愛知に戻るという生活を送り、大学卒業に本格的に活動を始めました。

温水洋一の学歴

温水洋一の学歴

小学校  都城市立大王小学校
中学校  都城市立小松原中学校
高校   都城西高校
大学   日本福祉大学

さんまさんとの出会いで知名度が上昇

「大人計画」に1994年まで6年間在籍。退団した時には「大人計画」は人気劇団になっていました。

Vシネマやテレビにもちょくちょく出演しるようになり、1994年にに竹中直人さんのコント番組『竹中直人の恋のバカンス』(テレビ朝日)にレギュラー出演したことで、独特のキャラクターが知られるようになりました。

2000年に明石家さんまさん主演の舞台に「七人くらいの兵士」に出演すると、さんまさんにどんどんツッコミを入れられて、初日のさんまさんと絡む時間はは5分でしたが、千秋楽には10分以上に増えていたといいます。
さんまさんに気に入られ、公演中に『踊る!さんま御殿』(日本テレビ)に出演。

『テレビなんて無理だと思ったんですけど、さんまさんが何とかしてくれるだろうと思って、ひな壇に座っていたんですよ』

以降はバラエティ番組への出演が増加し、知名度が上がると共に俳優業も軌道に乗り始めたといいます。

結婚歴は妻、子供

温水洋一さんは1997年、33歳の頃に結婚。
妻は4歳年下の劇団「大人計画」の団員だった女性。
夫婦でのルールは前の晩にどんなに遅く寝ても、朝がどんなに早くでも「必ず朝食を取る」ことだと話しています。
子供がいるという情報はありませんでした。

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