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仁科亜季子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 仁科亜季子

芸能一家に生まれ、女優として活躍する仁科亜季子さん。
小学校から学習院に通っていました。
この記事では仁科亜季子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

仁科亜季子の学歴

仁科亜季子の学歴

小学校  学習院初等科
中学校  学習院女子中等科
高校   学習院女子高等科
大学   進学していません

仁科亜季子の小学校

仁科亜季子さんの出身小学校は 学習院初等科

1953年4月3日生まれ、東京都目黒区出身。本名は仁科 章子(読みは同じ)。
父親は歌舞伎役者、俳優の十代目 岩井半四郎さん、母親は元松竹歌劇団で女優の月城彰子さん。父方の祖父は日本舞踊家の花柳壽太郎さん。
姉、弟、妹がいる次女で、姉は女優の岩井友見さん、妹は女優の仁科幸子さん
芸能一家に生まれ、幼少期から日本舞踊などの芸事を習っていましたが、子供の頃の夢は「お嫁さん」か「絵描きさん」でした。

小学校は東京都新宿区若葉にある私立の小学校の学習院初等科に入学。
1947年に公家の学習として創設された学校です。
子供の頃かは運動神経がよく体育の成績はいつも5で、小学6年生の時の運動会では応援団長を務めました。

仁科亜季子の中学校・高校

仁科亜季子さんの出身中学校・高校は 学習院女子中等科・学習院女子高等科

中学校・高校は系列の学習院女子中等科・女子高等科に進学。
東京都新宿区戸山三丁目にある私立の女子高で、中等科の偏差値は61、完全中高一貫制のため高校の生徒募集はなく偏差値はありません。
出身者には前衛芸術家のオノ・ヨーコさん、俳優のとよた真帆さんなどがいます。

姉の岩井友見さんも同じ学校で、女優デビューしていたため、中学、高校時代が姉の付き人をしていました。
中学、高校時代共に美術部に所属し油絵を描き、高校卒業後は浪人を覚悟で美大への進学も考えていました。

仁科亜季子の経歴 女優デビュー

仁科亜季子のプロフィール

名前   仁科亜季子
生年月日 1953年4月3日
出身   東京都目黒区
身長   158cm
血液型  AB型
所属   イマージュエンターテインメント

父親と載った雑誌のグラビアを見たNHKのプロデューサーの勧めでオーディションを受け、高校3年生だった1972年3月、18歳の時にNHKドラマ『白鳥の歌なんか聞えない』で女優デビュ-。
デビュー前の演技の特訓では動きがかたく、声も小さくて口だけぱくぱくしていたことから「冷凍の金魚」とあだ名が付けられたそうです。
1973年からは「JOMOイメージガール(現・ENEOS)」に選出されCMに出演。
美大を諦めそのまま女優として活動し、お嬢様女優として人気を獲得。
しかし、1977年に松方弘樹さんとの不倫が発覚し、女優活動を休止しました。

仁科亜季子の結婚歴や夫、子供

仁科亜季子さんの結婚歴は2回です。

仁科亜季子さんと松方弘樹さんが結婚したのは1979年11月、26歳の時でした。松方弘樹さんは1942年7月23日生まれで11歳年上。
出会い・馴れ初めは1974年の大河ドラマ『勝海舟』での共演。1977年には不倫が発覚し、松方さんと1968年に元モデルの夏子さんとの離婚が1978年に成立し翌年に結婚しました。
結婚後は女優業を引退しています。

子供は1982年9月に息子の克基さん、1984年11月に娘の仁美さんが誕生。
克基さんも仁美さんもタレント、俳優として活動しています。

仁科さんは1991年に子宮がんを発症し、子宮・卵巣・リンパ節を摘出。以降はこの体験から「子宮頸癌予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」の発起人となり啓蒙活動をしています。

その後、松方弘樹さんの隠し子、不倫が発覚し結婚19年目の1998年12月に離婚。
離婚後、松方さんは不倫相手の女性を事実婚関係を続け、2017年」1月に脳リンパ腫のため74歳で亡くなっています。

仁科さんが再婚したのは2011年2月、57歳の時でした。夫は大手広告代理店に勤務する男性。
ライフワークの子宮頸がん予防活動で懇意していた医師の紹介で2010年始めに出会い、交際に発展。2011年8月にプロポーズされ再婚に至りました。
しかし、結婚2年目の2013年2月に離婚しています。

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