コメディアン、タレント、俳優と幅広く活躍したなべおさみさん。
大学時代に芸能界入りしました。
この記事ではなべおさみさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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なべおさみの経歴
なべおさみの小学校
なべおさみさんの出身小学校は 大田区立六郷小学校
1939年5月2日、東京府東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。本名は渡辺修三。
実家は石綿パイプ(煙突)の製造工場を経営、姉、兄、2人の妹がいる5人兄弟の3番目として誕生しました。
工場は大森の本社だけでなく、新潟など工場を持っていたといいます。
4歳の時に茨城県東茨城郡鯉淵村(現・笠間市・水戸市)に疎開。
5歳の時に終戦を迎え、小学校は鯉淵国民学校に入学しました。
小柄でしたが負けん気が強く、小学校の入学式ではなめられないように一番体が大きい子を殴ったといいます。
小学校5年生の時に父親が工場を再建するため東京に戻り、大田区立六郷小学校を卒業しました。
なべおさみの中学校
なべおさみさんの出身中学校は 大田区立大森第八中学校
東京都大田区大森西二丁目にある公立中学校。
出身者には女優の浅野温子さん、歌手の鈴木雅之さんなどがいます。
中学1年生の時に友達の影響でジャズが好きになり、中学2年生の時にジャズ喫茶「テネシー」がオープン。
コーヒー1杯30円の時代に150円と高額でしたが、楽しみにしていたなべさんが行くと、そこでマッカーサー元帥からあの吉田茂総理と共に「従順ならざる日本人」と呼ばれた白洲次郎さんと偶然出会ったといます。
なべさんは白洲さんのことは知りませんでしたが、その雰囲気に「こんな人間がいるの!?」と圧倒されたうです。
そこで、なべさんはたまたま隣り合わせた白洲さんに、
『人間でも本物にいっぱい会うことだね。そのうちに見分けることができるようになる。だから頑張るんだよ』
と言われ、言葉の一つひとつが胸に突き刺さったといいます。
高校生の時にある本に顔写真があって、白洲さんがどんな人だったか知ったそうです。
なべおさみの高校
なべおさみさんの出身高校は 大森高校(偏差値41)
東京都大田区西蒲田二丁目にある男女共学の東京都立高校。
出身者にはタレントの毒蝮三太夫さん、俳優の隆大介さんなどがいます。
高校時代はラグビー部に所属していましたが不良で、渋谷をウロウロしていたといいます。
そんな時、伝説のヤクザと呼ばれた花形敬さんに出会い「不良は向いてないから大学へ行け!」と言われたことがきっかけで大学進学を決意。
遅れていた勉強を取り戻し、大学受験をしました。
なべおさみの大学
なべおさみさんの出身大学は 明治大学 文学部(偏差値66)
東京都千代田区神田駿河台一丁目に本部がある私立大学。
幼少期に憧れていた役者になろうと、大学では演劇学を専攻しました。
大学入学後は放送作家、演出家の三木鶏郎さんを訪ね「コメディアンにしてくれませんか」と頼みましたが、「もうコメディアンは育てていない」と断られ放送作家として採用。
半年ほどコントなどの書き方の指導を受け、大学在学中にラジオ番組で放送作家デビューしました。
その後、歌手の水原弘さんの付き人に誘われ、「渡辺プロダクション」に所属。
付き人として芸能界に入り、水原さんの知り合いだった勝新太郎さんの下で修業も経験。
水原さんの渡辺プロを退社後はハナ肇の付き人となりました。
芸名の「なおさみ」は、なべさんが勝さんに電話して本名の渡辺と名乗ったところ、勝さんが渡辺プロの社長だと勘違いをしたとい、勘違いを知った勝さんに「お前は渡辺じゃねえ、ただのなべだ」と叱られたことから「なべ」になったといいます。
大学は1962年に卒業。卒業までの学費は渡辺プロダクションが負担ていました。
なべおさみの学歴
シャボン玉ホリデーでブレイク
大学在学中からラジオ番組の構成作家だけでなくディスクジョッキー、ジャズ喫茶の司会などのも務め、1964年に日本テレビのバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』に出演すると、圧倒的な人気を獲得し一躍スターダムにのし上がりました。
俳優としても活動し、1968年公開の映画『温泉ゲリラ 大笑撃』では主演に抜擢。同年の山田洋次監督映画『吹けば飛ぶよな男だが』でも主演を務めました。
1974年に渡辺プロ退社後は、俳優の森繁久彌さんの付き人を経て、1978年からは日本テレビのワイドショー『ルックルックこんにちは』で「女ののど自慢」の司会を担当。
番組随一の人気コーナーに成長させました。
なべやかん明大替え玉受験事件とその後
1991年、息子で当時は一般人だった「なべやかん」さん(本名・渡辺心)の明治大学入試の替え玉受験疑惑が発覚。
当初、なべさんは「楽屋を訪ねて来た見知らぬ紳士から話を持ちかけられた」「特別な推薦枠が有ると言われた」と否定していましたが、最終的は「知人に話を持ちかけられた」と不正を認め、謝罪。
息子のなべやかんさんは大学を辞め、たけし軍団に入りました。
この事件を受けてなべさんは『ルックルックこんにちは』を降板するなど、全ての芸能活動を自粛。
1992年8月に『笑っていいとも!』(フジテレビ)のテレフォンショッキングのゲスト出演した後、1994年12月に本格的に芸能活動を再開。
一時期は吉本興業に所属し、ルミネtheよしもとの新喜劇などに出演。2010年2月からオスカープロモーションに所属して、お笑い部門の司会などを担当。
その後はも事務所を転々とし、2019年5月から再び吉本興業と契約。
2020年2月にはYouTubeで「なべおさみチャンネル」を開設し、ユーチューバーとしても活動しています。
なべおさみの結婚歴や妻、子供
なべおさみさんは1967年2月、27歳の時に結婚。
妻は1歳年下で元映画女優の笹るみ子さん。
るみ子さんは1957年、16歳の時にスカウトされて同年10月に映画『青い山脈 新子の巻』女優デビュー。以降は映画女優として活躍していました。
なべさんとるみ子さんが交際を始めたのは、なべさんの下積み時代で、1964年の秋から同棲を開始。
当初はなべさんの給料が3万円にに対して、るみ子さんは映画1本で30万年稼いでいたそうです。
子供は娘と息子の2人が誕生。
娘は一般人ですが、息子は1970年8月22日生まれのタレント・なべやかんさんです。
るみ子さんは2016年10月17日に、肺炎のため76歳で亡くなりました。