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夏目雅子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 夏目雅子

ドラマ、映画で活躍し若くして亡くなった伝説の女優・夏目雅子さん。
「西遊記」の三蔵法師を演じたことで知られます。
この記事では夏目雅子さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、結婚、晩年と死因などについて紹介しています。

夏目雅子の経歴・プロフィール

夏目雅子のプロフィール

名前   夏目雅子
生年月日 1957年12月17日
没年月日 1985年9月11日(27歳没
出身   神奈川県
身長   164cm
血液型  B型
所属   其田事務所

夏目雅子の小学校

夏目雅子さんの出身小学校は 東京女学館小学校

東京都港区六本木の生まれ。出生名は小達 雅子(おだて まさこ)。3歳兄と10歳年下の弟がいる3人兄弟の真ん中。
実家は六本木にあった輸入雑貨店・亀甲屋。
父親は東京オリンピックのための道路拡張後に店をビルにし、貸しビル業などでも成功。裕福な家庭に育ちましたが両親は忙しく、幼少期は寂しい思いもしたといいます。

小学校は東京女学館小学校に入学。
東京都渋谷区広尾3丁目にある私立の女子校で、お嬢様学校として知られます。
小学生の頃は内向的な女の子でした。
女優に興味を持ったのは小学3年生の時で、きっかけはドラマ『チャコちゃんハーイ!』(TBS)。
明るく元気は主人公に憧れたといいます。

夏目雅子の中学校・高校

夏目雅子さんの出身中学校・高校は 東京女学館中学校・東京女学館高校

東京都渋谷区広尾3丁目にある私立の女子校で、小学校に併設されています。
中学校の偏差値は60。中央完全一貫制のため高校の生徒募集はなく偏差値はありません。
出身者には元テレビ朝日アナウンサーの南美希子さん、女優の浅田美代子さんなどがいます。

高校時代のあだ名は「ダテピン」。
テストで悪い点数を撮った時にかぎってみんなに「見て、見て」と答案を見せたがっていたといいます。
女優を本格的に志したのは、17歳の時に見たイタリア映画『ひまわり』がきっかけでした。
戦争で消息不明となった夫を懸命に捜す妻役のソフィア・ローレンの演技に感銘を受けたといいます。

夏目雅子の大学 デビューのきっかけ

夏目雅子さんの出身大学は 東京女学館短期大学 (偏差値45)

東京都町田市鶴間にあった私立大学。2003年に廃止されました。
短大ではフランス語を専攻していました。
1976年、入学直後に父親のツテで、18歳の時に都内のタイルメーカー「内野」のCMに出演。
同年の日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか…』のオーディションを受け、486人の応募者の中からヒロイン役に抜擢。本名で女優デビューしました。

同ドラマの役どころは、強盗殺人事件を目撃し、犯人に轢き逃げされて失明したヒロインで、難しい盲目の演技に演技未経験の夏目さんは57回ものNGを連発し、要求にこたえられないことに何度も涙を流したといいます。
降板を議論されたほどでしたが、最終的にはプロデューサーの意向で撮影は強行。
撮影続行の条件として監督は夏目さん演技の合宿を命じ、厳しい演技指導で何度も叱られたため、撮影終了後に夏目さんは兄に「女優はもういいや」と根を上げたほどだったといいます。
学校は芸能活動に厳しかったため、短大は中退しています。

夏目雅子の学歴

夏目雅子の学歴

小学校  東京女学館小学校
中学校  東京女学館中学校
高校   東京女学館高校
大学   東京女学館短期大学(中退)

クッキーフェイスでブレイク

デビューの翌年の1977年にカネボウ化粧品のキャンペーンガールに選出され、「クッキーフェイス」のCMに出演すると、健康的な笑顔が反響を呼びブレイク。
クッキーフェイスのCMが夏をイメージするものだったことから、芸名を夏目雅子に改名しました。
同年に『すぐやる一家青春記』(TBS)で連続ドラマ初出演。
同年1月から公開されが映画『トラック野郎・男一匹桃次郎』ではヒロインに抜擢されました。

西遊記の三蔵法師役

1978年10月から放送された、『西遊記』(日本テレビ)に本来は「男性」である三蔵法師役で出演。
これが当たり役となり、ドラマもNHKの大河ドラマの裏番組であったにもかかわらず、最終回で最高視聴率27.4%を記録。
同日のHK大河ドラマ『草燃える』の視聴率は27.6%でほぼ同じ視聴率でした。
ドラマの大ヒットから、翌年の1979年には続編の『西遊記II』が放送。
夏目さんの知名度は大きく上昇しました。

1980年12月から放送されたドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日)でドラマ初主演。
1982年6月公開の映画『鬼龍院花子の生涯』では、

日本アカデミー賞・優秀主演女優賞

を受賞。夏目さんのセリフ「なめたらいかんぜよ!」は流行語となりました。
1984年の『魚影の群れ』『時代屋の女房』、『瀬戸内少年野球団』でも同賞を受賞しています。

結婚や夫

夏目雅子さんは1984年8月、26歳の時に、7歳年上の作家・伊集院静さんと結婚。
伊集院さんは1980年まで結婚しており、不倫関係を経ての結婚でした。
結婚後は神奈川県鎌倉市由比ガ浜に在住。
夏目さんに子供はいませんでした。

晩年・死因

夏目さんは1985年2月からの舞台『愚かな女』のヒロインに抜擢。
稽古の最中に10円玉大の口内炎ができたり、激しい頭痛が起きたりするなど身体に異変が現れ始め、一部の出演者には体調不良を伝えましたが、公にはしないまま舞台は開幕。
公演日程の中盤の2月14日には体調不良を隠すことができない状態になり、公演の続行を望む松目さんを共演者の西岡徳馬さんらが説得。

翌日の2月15日に入院すると検査の結果、、急性骨髄性白血病と診断。
夏目さん本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名は伏せられていたといいます。
夫の伊集院さんは仕事を中断し亡くなるまで、母親と共に看病にあたりました。
約7ヶ月の闘病生活を送り、一時は退院間近と報じられましたが、1985年8月下旬の抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発。
高熱を出し、9月8日に熱が一時的に引き、回復傾向と思われましたが、翌日の9日には再び高熱を発し、1985年9月11日に死去。27歳でした。
遺作は1984年9月に公開されナレーションを担当した映画『北の螢』でした。

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