『可愛いベイビー』の曲で知られる歌手の中尾ミエさん。
テレビ番組では歯に衣着せぬ軽快なトークで、タレント、コメンテーターとしても活躍しています。
この記事では中尾ミエさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
中尾ミエの学歴
中尾ミエの小学校
中尾ミエさんの出身小学校は 市川市立真間小学校
1946年、福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。実家は教科書などを販売していた『中尾書店』を経営していました。
6人兄弟の4番目。自宅は大きな武家屋敷で、釘は1本も使われてなく、扉の厚さは20cmくらいあったといいます。
幼少期は裕福でバレエ、ピアノ、タップダンスを習うなど何不自由なく育ちましたが、小学5年生の時に父親の会社が倒産。
父親の職を求めるため家族でい上京し、武家屋敷から6畳と4畳の2間に家族8人が暮らす生活になったといいます。
小学校は福岡学芸大学附属小倉小学校に入学。
福岡県北九州市小倉北区下富野にある国立小学校です。
上京後は市川市立真間小学校に転校して卒業したようです。
中尾ミエの中学校・高校
中尾ミエさんの出身中学校・高校は 精華学園女子中学校・精華学園女子高校
千葉県市原市にあった私立の女子校。1974年に東海大学と提携し、1986年に男女共学になり、現在は精華学園が東海大学に統合・編入され、東海大学付属市原望洋高校になっています。
引っ越すたびに家が小さくなり、中学1年生の時には学校の授業料も払うのも困難になったことから「よし、働こう」と決意。
13歳の時にラジオの『のど自慢大会』で優勝すると、その後は年齢を偽って進駐軍のキャンプなどで歌い始めました。
中学時代に東宝の映画のオーディションに応募しましたが身長が低かったために不合格。
14歳の時に、渡辺プロダクションへの紹介状をくれた人がいたことから、紹介状を持ってひとりで行きましたが雇ってはもらえませんでした。
しかし、「自分が働く場所は、縁をもらったこのプロダクションしかない」と思い、毎日通い続けた結果、社長が作曲家・平岡精二さんに預けてくれレッスンを受けるようになり、1961年、中学3年生の時に渡辺プロダクションと契約。
高校1年生だった1962年4月に『可愛いベイビー』で歌手デビューすると、累計100万枚を超える大ヒットを記録。一躍人気歌手となり、ドラマにも出演しました。
同年末には第13回NHK紅白歌合戦を初出場を果たし、高校は中退しています。
デビュー当時は社長の渡辺晋さんの自宅に下宿をしていて、同じく下宿していた梓みちよさんとはよく取っ組み合いのケンカをしていたと話しています。
中尾ミエの経歴
デビュー後、同じ事務所の園まりさん、伊東ゆかりとスパーク3人娘を結成。
ザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演して人気を博し、1963年、1964年には3人で紅白歌合戦に出場しました。
子供の頃から両親に家を建ててあげたいとの思いがあり、20歳の時に都内に一軒家を購入し両親にプレゼントしています。
25歳の時には両親の家の隣に自分の自宅も建て、2023年現在もその家を建て替えずにリフォームしながら生活しているといいます。
60歳からは自宅の隣にアパートを建てて、大家としてアパート経営もしています。
中尾ミエの結婚や夫、子供
中尾ミエさんに結婚歴はなく、夫も子供もいません。
『私ダメなんです。結婚っていう言葉がダメ。結婚って2人だけの問題じゃないでしょう。向こうの家族とか。』
結婚はしていませんが、50年以上事実婚関係にある男性がいること明かしていおり、未入籍でも「なんの不自由もない」と話しています。