ヒット曲「ふれあい」やドラマ「俺たちの旅」で知られる中村雅俊さん。
大学時代は外交官を目指していました。
この記事では中村雅俊さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
中村雅俊の学歴
中村雅俊の小学校
中村雅俊さんの出身小学校は 女川第一小学校
1951年2月1日、宮城県牡鹿郡女川町生まれ。父親は鰹節職人、5歳年上と3歳年上の姉がいる3人きょうだいの末っ子。
兄もいましたが、中村雅俊さんが生まれる前に5歳で病死。
4歳の時には父親が狭心症で他界、父親の記憶はあまりないといいます。
以降は母親が行商を始めホヤ貝を毎日売り、6歳の頃に自宅を改装して小さな雑貨屋を開き3人の子供を育てました。
母親は忙しかったこともあり、子育ては放任主義で好きなことをさせてもらっていたといいます。
中村雅俊の中学校
中村雅俊さんの出身中学校は 女川第一中学校
中学時代はバスケットボール部に所属し、キャプテンも務めました。
中学3年間で身長は25cm伸び、180cmになりましたが、その後はほとんど伸びまなかったといいます。
中学生の時に母親が知人の保障人になって多額の借金を背負うようになり、雑貨屋の一部ででバーも始め、ホステスも住み込みで働いていまいた。
ビートルズの『抱きしめたい』を聴いて衝撃を受け音楽が好きになり、母親が忙しかったため毎日食事代としてテーブルに置かれていた200円を100円に抑え、残りを貯金して当時流行っていたグループサウンズのレコードを買っていたといいます。
中村雅俊の高校
中村雅俊さんの出身高校は 石巻高校 (偏差値60)
宮城県石巻市大手町3-15にある男女共学の県立高校。
出身者には作家の北原耕也さん、俳優の半海一晃さんなどがいます。
高校時代もバスケットボール部に入り、キャプテンも務めました。
バスケ部の合宿で、先輩がギターを持って来て弾いていた影響でギターを始め、3年生の時には文化祭でハーモニカも吹きながら演奏と歌を披露し、それが人前で歌った始めての経験だったといいます。
五木寛之さんの小説『青年は荒野をめざす』を読んで影響を受けて外交官に憧れ、東京外語大の進学を希望しましたが、母親は東北大学に進んで宮城県庁に入ることが希望で口論になりましたが、中村さんは外語大学を受験。結果は不合格でした。
中村雅俊の大学
中村雅俊さんの出身大学は 慶應義塾大学 経済学部(偏差値70)
東京都港区三田二丁目に本部がある私立大学。
1年の浪人生活を経て合格しました。
入学当時は外交官を目指していたので、英語は必要だろうと英語サークルの『K.E.S.S.』に所属。
『K.E.S.S.』はディベート、スピーチ、ディスカッション、ドラマという4つのセクションに分かれていて、中村さんは「一番面白そうだな」と思った英語劇を行うドラマを選択。
最初は裏方を担当していましたが、3年生の時に初めてキャストとして出演し、日本語の芝居もやってみたいと思い勢いで『文学座』を受験。
競争率は40倍で「どうせ落ちるだろう」と思っていましたが、一次試験も二次試験にも合格し、1973年に研究生として入団。アルバイトをしながら研究生生活を送り、大学卒業と同時に『文学座』に団員として正式に入団しました。
中村雅俊の経歴
1974年1月に劇団の先輩だった松田優作さんの紹介で『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の84話にゲスト出演してドラマデビュー。
オーディションを経て、テレビドラマ『われら青春!』(日本テレビ)の主演に抜擢。、
1974年4月から放送され、自身が歌った挿入歌の『ふれあい』がオリコンチャート1位を獲得し、100万枚を超える売り上げを記録。
同年に自身の曲『ふれあい』をモチーフにした映画『ふれあい』で映画デビューしました。
いきなりのブレイクだったため、『文学座』のベテラン座員の中には中村さんが座員であること知らない人も多く、ブレイクした後に幹部だった女優の杉村春子さんい挨拶に行ったところ「あなた文学座だったの」と驚かれたといいます。
1985年に文学座を退団し、以降はドラマでを中心に映画、ミュージカル、CMでも出演し、歌手としても毎年コンサートツアーを行っています。
中村雅俊の妻・子供
中村雅俊さんは1977年2月、26歳の時に結婚。
妻は1歳年下で女優の五十嵐淳子さん。
馴れ初めはドラマの共演で、1975年4月から放送された中村雅俊さんと松田優作さんの主演ドラマ『俺たちの勲章』(日本テレビ)に五十嵐さんがゲスト出演したことで出会いました。
デビューして間もなくで、人気も絶頂での結婚だったため、マネージャーなど周囲からは反対され、週刊誌の担当記者には「仕事がなくなるぞ」と忠告を受けたといい、結婚後には1万人いたファンクラブ会員は1800人まで減ったといいます。
結婚しただけで批判を受ける時代で、一部のスポーツ誌では「裏切り者雅俊」と書かれたそうで、その新聞は今でも持っていると話しています。
妻の五十嵐淳子さんは結婚後も1990年代中頃まで女優として活動していました。2006年にはネスレ「アフターエイト」のCMで夫婦共演をしています。
子供は息子が1人と娘が3人で、長男の俊太さんが1977年、長女の有香さんが1979年、次女の麻美さんが1988年、三女の里砂さんが1989年に誕生しました。
長男の中村俊太さんは元俳優で、2003年には『白い巨塔』(フジテレビ)に出演し、ドラマを中心に順調に活躍しましたが、2009年4月に東京都杉並区の路上で乾燥大麻を所持していたとして大麻取締法違反の現行犯で逮捕され、芸能界から引退。
2011年10月には都内港区のゴルフスクールでインストラクターとして活動していることが報じられました。
三女の中村里砂さんは2010年にファッションモデルとしてデビューし、2016年には『少女椿』で映画初出演で、初主演。
2019年、『カカフカカ -こじらせ大人のシェアハウス-』(毎日放送)でテレビドラマ初出演しました。