中村正人(ドリカム)の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 中村正人 歌手・ミュージシャン

バンド「DREAMS COME TRUE」のベーシストでリーダーの中村正人さん。
この記事では中村正人さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

中村正人の学歴

中村正人の学歴

小学校  寝屋川市立池田小学校
中学校  市川市立第一中学校
高校   国府台高校
大学   青山学院大学

中村正人の小学校

中村正人さんの出身小学校は 寝屋川市立池田小学校

1958年10月1日、東京都調布市生まれ。3人兄弟の長男として誕生しました。
父親は転勤が多く、1歳半で東京都墨田区、2歳で愛知県名古屋市中村区、3歳で神奈川県川崎市、小学校1年生の1学期に、大阪府寝屋川市に引っ越し、中学1年生の2学期に千葉県市川市。 高校2年生の時に千葉県船橋市に移りました。

寝屋川市立池田小学校に転校した時には、話す言葉でいじめにあったといいます。

中村正人の中学校

中村正人さんの出身中学校は 市川市立第一中学校

中学入学時は大阪府寝屋川市に住んでいて、中学校は同志社香里中学校に入学。
大阪府寝屋川市三井南町にある男女共学の私立学校で、偏差値は64。

中学1年生の2学期に千葉県市川市に引っ越し、市川市立第一中学校に転校しました。
6年間の大阪生活で言葉は大阪弁になりましたが、再び関東に戻って来て、また言葉でいじめられたといいます。
中学時代は「エースをねらえ!」の影響で、テニス部に所属していました。
音楽に目覚めたのも中学時代で、当時はフォークソングに熱中してといいます。

中村正人の高校

中村正人さんの出身高校は 国府台高校(偏差値64)

千葉県市川市国府台二丁目にある男女共学の千葉県立高校。設置学科は普通科のみ。
出身者には俳優のきたろうさん、伊藤淳史さんなどがいます。

高校入学後は1年生から文化委員会に所属していました。

『ただただバンド活動がしたくて文化祭が盛んな千葉県立国府台高校に入学。教室よりも文化委員会室で毎日を送る日々。頭の中は音楽だらけ。』

また、バンドも結成しギターを担当。生徒会館の別館の二階に布団を敷き詰めて練習していました。

中村正人の大学

中村正人さんの出身大学は 青山学院大学 文学部英米文学科(偏差値65)

東京都渋谷区渋谷四丁目に本部がある私立大学。
大学時代も音楽活動を続けていました。

『一年の時から大学には行ってなかったですから(笑)。父親の夢は、僕が大学を無事卒業することだったので、とりあえず履修届はちゃんと出して三年まではいたんですが。』

大学は後に中退しています。

中村正人の経歴 DREAMS COME TRUE結成の経緯

中村正人のプロフィール

名前   中村正人
生年月日 1958年10月1日
出身   東京都調布市
身長   173cm
血液型  A型
所属   DCTentertainment

大学中退後は、セッションミュージシャンとして活動。
1985年から1988年まではとんねるずのコンサートツアーでバック・バンドのベーシストをしていました。

「DREAMS COME TRUE」のメンバーとなる吉田美和さんは1987年に歌手を目指して北海道から上京。
バックコーラスなどの活動をしていた吉田さんの歌唱力に中村さんが惚れ込み、マネージャーとして関わっていましたが、1988年1月に前身バンドとなる「CHA-CHA & AUDREY’s Project」(チャチャ・アンド・オードリーズ・プロジェクト)を結成。

中村さんはある大物タレントから「お前はミュージシャンには向いていない」「マネージャーをやれ」と言われて悩んでいた時に、吉田さんに、

『絶対、音楽やりたいんだったらマネージャーをやっちゃダメ』
『それだったたバンド作って2人でやってみよう』

と言われバンドを結成しました。
その後、吉田さんと同じ北海道出身で音楽仲間だった西川隆宏さんが加入し、1989年に「DREAMS COME TRUE」に改名。

デモテープを作ってエピック・ソニー・レコードに営業したところ、「このテープは余所に持って行くな」と言われ、メジャーデビューが決定。
1989年3月31日に『あなたに会いたくて』でデビュー。中村さんが30歳の時でした。

当初は売れませんでしたが、1990年2月10日に発売した5枚目のシングル『笑顔の行方』が、TBSの中山美穂さん主演ドラマ『卒業』に起用されオリコン2位にランクインする大ヒット。
同年11月22日に発売した3枚目のアルバム『WONDER 3』は100万枚を超える売り上げを記録。
年末には紅白歌合戦に初出場。紅白には2013年までで15回出場しています。
1991年4月25日発売の9枚目のシングル『Eyes to me/彼は友達』が初のオリコンチャート1位を獲得。
その後は、『決戦は金曜日/太陽が見てる』、『go for it!/雨の終わる場所』、『サンキュ.』、『LOVE LOVE LOVE/嵐が来る』などミリオンセラーを連発。

1997年にはレコードレーベルをヴァージン・レコード・アメリカに移籍し、アメリカ進出を視野に入れた活動を始めましたが、レコード会社を解雇となり撤退しています。

『ステム通りやらないと、リストにすら載れない。そのためにはまず膨大なお金が必要で、膨大な数のエージェントが必要でした。そこで勝てるわけもなかった。もっと賢くやらなきゃいけなかったんですね。』

中村さん個人としては、1991年発売のセガのコンピュータ・ゲーム『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』で初めてゲーム音楽を手がけ、同ゲームは全世界で350万本を売り上げました。
朝ドラ『ひらり』やドラマ『長男の嫁』のサウンドトラックなども手掛けています。

中村正人の結婚や妻、子供

中村正人さんが結婚したのは2008年7月、49歳の時でした。
妻は沖縄出身6人組ロックバンド「HIGH and MIGHTY COLOR(ハイ・アンド・マイティ・カラー)」のボーカルだったマーキーこと、翁長麻紀(おながまき)さん。
29歳年下で、結婚時は20歳でした。出会って数ヶ月のスピード婚だったといいます。

子供は結婚の翌年の2009年10月に誕生。中村さんが50歳の時の子供でした。

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