内藤剛志の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 内藤剛志 俳優

多くのドラマで刑事役を演じている内藤剛志さん。
大学では映画製作を学んでいました。
この記事ではさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

の経歴・プロフィール

内藤剛志のプロフィール

名前   内藤剛志
生年月日 1955年5月27日
出身   大阪府
身長   183 m
血液型  O型
所属   阪口京子事務所

内藤剛志の小学校 子役として活動

内藤剛志さんの出身小学校は 大阪市立集英小学校

大阪府大阪市生まれ。兄弟はおらず一人っ子。
幼少期から小学校3年生まで寝屋川市、枚方市で育ちました。
NHKラジオ、テレビの技術職員の父親、人形製作の仕事をしてた母親のもとに誕生。
3歳からピアノ、バイオリンを習い、そろばん、習字も習っていました。

小学校は枚方市立香里小学校に入学し、小学3年生の時に大阪市立集英小学校に転校。
集英小学校は1989年9月に統合され、1990年3月に開平小学校が開校したことで、閉校になっています。
集英小学校に転校後、NHK大阪児童劇団に入団し、、小学5年生の時ににはNHKのドラマ『横堀川』に子役として出演しています。

内藤剛志の中学校

内藤剛志さんの出身中学校は 大阪市立船場中学校

大阪市にあった公立中学校で、1988年3月に統合され閉校。
現在は大阪市立東中学校になっています。
中学時代には陸上部と剣道部を掛け持ちし、陸上部では大阪大会の走り高跳びで8位に入賞。
劇団には中学1年生まで所属し、ジャズにハマリにサックスも習っていました。

内藤剛志の高校 ジャズミュージシャンを目指して上京

内藤剛志さんの出身高校は 大阪星光学院高校 (偏差値75)

大阪府大阪市天王寺区伶人町にある私立のカトリック系男子校。
大阪トップクラスの進学校で、出身者には作詞・作曲家の前山田健一さんなどがいます。

高校1年生の夏休みに泊り込みで建設現場でアルバイトをしてテナーサックスを購入。
同級生とジャズバンドを結成し、文化祭やジャズ喫茶で演奏していました。
高校2年の夏休みには九州を一人旅し、高校3年の夏休みにはヒッチハイクで富士山に行きました。

高校卒業後にサックスでのジャズミュージシャンを目指して上京し、東京都杉並区の「飯田ジャズスクール」に入学。
しかし、入学してすぐに「ジャズミュージシャンでは食えない」と思いを断念しました。

内藤剛志の大学 自主映画がきっかけで俳優を目指す

内藤剛志さんの出身大学は 日本大学 芸術学部 (偏差値50)

東京都千代田区九段南4丁目に本部がある私立大学で、芸術学部のキャンパスは練馬区。
「飯田ジャズスクール」を辞めた後、予備校に通い浪人生活を経て、日本大学芸術学部に入学しました。
大学では映画製作を学ぶために映画学科に入りましたが、同級生で後に映画監督になる長崎俊一さんと自主映画の制作を始め、内藤さんはそれらの映画の多くで主演を務め、これがきっかけで俳優を目指すようになり、大学は1年で中退しました。

内藤剛志の学歴

内藤剛志の学歴

小学校  大阪市立集英小学校
中学校  大阪市立船場中学校
高校   大阪星光学院高校
大学   日本大学

連ドラの鉄人

大学中退後は、「文学座研究所」を経て、1980年、『ヒポクラテスたち』で映画デビュー。
以降はドラマで悪役、犯人役を中心に出演。

1994年4月から放送されたドラマ『家なき子』(日本テレビ)では主人公の安達祐実さんを虐待する酒浸りの父親役を演じ、ドラマが最高視聴率7.2%を記録した話題作になったことで、内藤さんの知名度は大幅い上昇。

1995年1月の『味いちもんめ』(テレビ朝日)から2001年9月の『金田一少年の事件簿』(日本テレビ)まで27クール(6年9か月・81か月)連続で連続ドラマに出演し日本新記録を樹立し、「連ドラの鉄人」と呼ばれました。

結婚や妻、子供

内藤剛志さんは1982年、27歳の時に同い年の一般女性と結婚。
妻との出会いは浪人生活を送っていた時に通っていた予備校「代々木ゼミナール」でした。
予備校で2人のきれいな女性を見つけ、その1人が妻だったといいます。
その後、交差点や書店で偶然に何度か会い、ある日、内藤さんがお茶に誘ったことがきっかけで交際がスタートしたそうです。

子供は娘が1人で、結婚の翌年の1983年8月に誕生。
娘は美大を卒業して「ジブリ」に入ったことをトーク番組で明かしています。

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