長野智子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 長野智子 アナウンサー・キャスター

元フジテレビアナウンサーで、バラエティ番組『オレたちひょうきん族』の3代目ひょうきんアナを務め注目を集めた長野智子さん。
結婚後は報道キャスターとして活躍しました。
この記事では長野智子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

長野智子の経歴

長野智子のプロフィール

名前   長野智子
生年月日 1962年12月24日
出身   アメリカ・ニュージャージー州
身長   167cm
血液型  O型
所属   古舘プロジェクト

長野智子の小学校

長野智子さんの出身小学校は 田園調布雙葉小学校

父親は商社勤務で、アメリカ・ニューヨーク州に赴任いていた時、1962年12月24日にニュージャージー州で生まれました。
曽祖父は英語の通訳で、岩倉使節団にも参加した長野桂次郎さん。

2歳で帰国後は、父方の祖母、両親、年の離れた兄の5人で横浜で暮らしましたが、ほどなくして父親は病気を患い、7歳の時に他界。以降は母子家庭で育ちました。

幼稚園から田園調布雙葉幼稚園に入学し、小学校も田園調布雙葉小学校に入学。
東京都世田谷区玉川田園調布1丁目にあるカトリック系の女子小学校です。
子供の頃は引っ込み思案で、太っていて成績も悪く運動も苦手で、自分に自身が持てず自己肯定感は低かったといいます。

長野智子の中学校・高校 成績はオール5

長野智子さんの出身中学校・高校は 田園調布雙葉中学校・高校

田園調布雙葉小学校に系列の学校で、所在地も同じです。
出身者には政治家の野田聖子さん、スポーツキャスターの長嶋三奈さんなどがいます。

母親は活発な学級委員タイプの優等生で運動も得意だったことから、内気で勉強が出来ず、運動も不得意な長野さんを見て、イライラしたのか、「私の子とは思えない」などひどいことを言われましたがプレッシャーや怒りにはならず、中学時代にヤル気になり、勉強を始めると成績は上昇。

塾にも通い、勉強は母親に「もう勉強やめなさい」と言われるほどしたといい、中学ではバドミントン部に入部し運動もは始め、身長も伸びて体型もスリムになったといいます。

中学3年生の三者面談では先生に「国立大学を狙える」と言われ、成績が上がるとますます頑張るようになり、高校時代はさらに成績が上がり、オール5だった時期もあったといい、高校生活は楽しかったそうです。

長野智子の大学 在学中にDJデビュー

長野智子さんの出身大学は 上智大学 外国語学部英語学科 (偏差値68)

東京都千代田区紀尾井町に本部がある私立大学。
大学は推薦で入学。上智大学を選んだのは推薦枠があったからで、英語が好きだったことから英語の教師になろうと外国語学部英語学科を選択したといいます。

学生みずからが考えた英語学習プログラムを一般の学校の生徒に実際に教えるという取り組み「STP(Summer Teaching Program)」に参加し、2年連続で山形県の中学校で英語を教えました。

マスコミは志望していませんでしたが、大学2年生の時に知り合いに勧められ、現役の女子大生がDJを務める文化放送の企画『ミスDJリクエストパレード』のオーディションに応募すると合格。

毎週月曜夜のパーソナリティを半年務め、放送終了後には毎回ディレクターに厳しく叱られ、「ミスDJ」を卒業後には「自分はマスコミには向いていない」と思い再び英語教師を目指しましたが、その後、厳しく叱られたディレクターに再会すると、

『もったいないからアナウンサーの試験を受けたら?』

と勧められたといい、フジテレビを受けると合格しました。

面接での「大学時代に何を学びましたか?」の質問にに山形県で中学生の英語を教えた話をしたといい、後に、

『マスコミ志望の学生とは違う実体験を感受性豊かに語れる子だな』

とマスコミ志望でなかったことが評価されて合格したことを聞いたそうです。

長野智子の学歴

長野智子の学歴

小学校  田園調布雙葉小学校
中学校  田園調布雙葉中学校
高校   田園調布雙葉高校
大学   上智大学

ひょうきんアナとして活躍

1985年4月、フジテレビにアナウンサーとして入社。
同期のアナウンサーは三宅正治さん、軽部真一さん、永麻理さん、松田朋恵さん。

大学で英語教師を目指していたことから、入社後は上司に「英語の教育番組みたいなのができれば」と伝えましたが上司には「そんな番組あるわけないだろ」と一蹴されたといいます。

報道志望になったきっかけは入社した年の8月に起こった「日本航空123便墜落事故」で、新人だった長野さんの取材に駆り出され、この取材がきっかけで報道志望になったといいます。

その後、当時の上司だった露木茂さんに「報道をやりたいんです」と伝えると、『めざましテレビ』の天気予報を経て、川端健嗣さんとともにメインの司会を担当することができましたが、2年目の1986年9月に『オレたちひょうきん族』に配属。

天気予報を見ていたプロデューサーが「こいつは面白い」思って指名されたといい、番組ではサブMCの3代目ひょうきんアナを担当しました。

芸人からは「まあまあなセクハラ」を受けたと話し、ある日、共演者の山田邦子さんに「蹴っちゃいなよ」と言われ、胸を触られた芸人を思い切り蹴飛ばすと脚光を浴び、知名度も一気に上昇しました。

『ひょうきん族』は1989年4月まで2年半出演し、1990年に結婚を機に退社。フリーアナウンサーに転身しました。

長野智子の結婚した夫や子供

長野智子さんは1990年、28歳の時に三菱商事に勤務する、1歳年上の商社マンの男性と結婚。

出会いはニューヨークで、夏休みに休暇で母親とニューヨーク旅行に行った時に、現地に住んでた友人に紹介されたのが夫だったといいます。

2人に子供はいません。
子供を望み不妊治療を始め、40歳なる頃には本格的に体外受精の治療も行い47歳まで続けましたが、子供には恵まれなかったそうです。

報道番組で活躍

1995年に夫のアメリカ転勤に伴い渡米し、ニューヨーク大学大学院メディアエコロジー専攻で学びながら、フジテレビの現地リポーターとしても活動。

1999年、同大学院修士課程を修了後、2000年にテレビ朝日の報道番組『ザ・スクープ』のオファーが入り、1人で帰国することに戸惑いましたが夫に、

『報道番組はあなたの夢でしょ。なんのために大学院で苦労してジャーナリズムを学んだの』

と背中を押され、2000年4月から鳥越俊太郎さんと共に『ザ・スクープ』のキャスターに就任。

2001年9月に同時多発テロ事件が発生した後は、イスラエルのパレスチナ自治区に入り、その後はパキスタンでも取材し注目を集めました。

2003年6月からは『朝まで生テレビ!』の総合司会、2004年4月からは『報道ステーション』のフィールドキャスター、2006年4月には『サンデースクランブル』のメインキャスターを務めるなど、テレビ朝日の報道番組で活躍。

2011年10月からは『報道ステーション SUNDAY』、2017年4月からは『サンデーステーション』の進行キャスターを担当し、2020年9月まで務めました。

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