本木雅弘の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 本木雅弘 俳優

旧ジャニーズ事務所に所属し、シブがき隊のメンバーとして活躍した俳優の本木雅弘さん。

2度の日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を獲得しています。

この記事では本木雅弘さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

本木雅弘の学歴

本木雅弘の学歴

小学校  桶川市立加納小学校
中学校  桶川市立桶川東中学校
高校   浦和学院高校
大学   進学していません

本木雅弘の小学校

本木雅弘さんの出身小学校は 桶川市立加納小学校

埼玉県北足立郡桶川町(現・埼玉県桶川市)出身、男3人兄弟の次男。

実家は16代続くの米農家で元『豪農』、敷地は広く敷地の中に先祖代々のお墓があるといい、家も古かったものの大きく、窓からは田園風景を見て育ったといいます。

幼少期には同じ大きな家なら、なぜヨーロッパの王子さまに生まれなかったんだろうと真剣に考えていたそうです。

小学3年生の時にの作文には「将来は喫茶店のマスターになりたい」と書いていました。

また、3年生から毎年学級委員長に選ばれましたが、先頭に立つののは苦手だったといいます

本木雅弘の中学校

本木雅弘さんの出身中学校は 桶川市立桶川東中学校

バスケットボール部に所属し、キャプテンも務めました。

中学時代に学園ドラマを見て「自分もテレビに映ってみたい」と俳優に憧れ、1980年、中学3年生の時に遊び半分で「東京宝映テレビ (現・宝映テレビプロダクション)」と「ジャニーズ事務所」に履歴書を送り、ジャニーズ事務所から先に連絡があっため、オーディション受けて合格し、入所しました。

本木雅弘の高校

本木雅弘さんの出身高校は 浦和学院高校(偏差値45~63)

埼玉県さいたま市緑区大字代山にある男女共学の私立高校。
生徒数は約2400人でマンモス校として知られます。
出身者には俳優の畑野ひろ子さん、菜々緒さんなどがいます。

1981年、高校1年の時に演技の練習もほとんどしないままオーデションに行かされ、4月から放送された『2年B組仙八先生』(TBS)で俳優デビュー。

同ドラマで薬丸裕英さん、布川敏和さん、三田寛子さんもデビューしています。

高校は1年生の時に、芸能活動のため活動のしやすい、明治大学付属中野高校の定時制に編入。

東京都中野区東中野にある男女共学の私立高校。

『2年B組仙八先生』の放送中に『シブがき隊』を結成し、1982年5月に『NAI・NAI 16』でデビュー、年末には第24回日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞。

人気アイドルとなり、明治大学付属中野高校は2年の途中で中退しました。

本木雅弘の経歴

本木雅弘のプロフィール

名前   本木雅弘
生年月日 1965年12月21日
出身   埼玉県北足立郡桶川町(現・埼玉県桶川市)
身長   174cm
血液型  A型
所属   メンズアート

デビュー3年目の1984年3月に発売した9枚目のシングル『喝!』が初のオリコンチャート1位を獲得。

しかし、1985年末に同時期に結成された少年隊がデビューすると、その歌唱力とキレの鋭いダンスを目の当たりにして『こりゃ絶対勝てないな』と思ったといい、1987年にはデビューから5年連続で出場していた紅白歌合戦に落選。
1988年8月7日の東京厚生年金会館のコンサートでグループの解散を示す解隊宣言を発表、同年11月に解隊。

『実は解散が決まる前、私が早々に、業界そのものを辞めてパリでもどっかでも行って皿洗いでもなんでもいいからやって、ということをしたいから辞めてもいいかと二人に相談しました。二人とも目が点になってましたけど』

解散を切りしたのは本木さんで、シブがき隊の解散と同時にジャニーズ事務所も退所しました。

解散後は本格的に俳優として活動し、翌年の1989年公開の主演映画『ファンシイダンス』では僧侶役を演じ、実際に剃髪して挑みました。

1992年1月公開の『シコふんじゃった。』で、第16回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞。

1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』では主演を務めました。

2008年9月公開の映画『おくりびと』で2度目の、第32回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞し、2015年8月公開の『日本のいちばん長い日』では第39回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞を受賞しました。

本木雅弘の妻との馴れ初めや子供

本木雅弘さんは1995年に、内田裕也さんと樹木希林さんの娘・内田也哉子(うちだ ややこ)さんと結婚。

内田也哉子さんは10歳年下で、出会いは内田さんが15歳の時でした。

内田裕也さんのプロデュースし映画『魚からダイオキシン!!』に本木さん出演したことで、出会いましたが、その時は会話はありませんでした。

その後、本木さんが米国アカデミー賞のナビゲーターをやることになり、通訳を探していたところ、本木さんの事務所の社長と内田裕也さんが懇意だったことから、幼稚園、小学校がインターナショナルスクールで英語が堪能な、当時高校1年生だった内田也哉子さんがアルバイトで通訳を務めて再会。

1週間通訳を務め、その後、スイス留学した内田也哉子さんと連絡先を交換し文通、夏休みに帰国した内田也哉子さんに本木さんは、

『もし、将来、結婚っていうことを考える時期がきたら、私を選択肢に入れておいてください』

と言ったそうです。

内田也哉子さんは『誰にでもそうやって言ってるんじゃないか』と思っていましたが、内田也哉子さんが19歳の時に正式にプロポーズ。

内田也哉子さんは当時大学生で、母親の樹木希林さんに相談すると、

『結婚や人との出会いは計画してできるものじゃないから』

と背中を押され結婚を決意し、その後、次男だった本木さんに樹木希林さんが婿入りを願い出て、本木さんはそれを了承し、婿養子になりました。

子供は息子が1人と娘が2人の3人。

1997年に長男・雅樂(うた)さん、1999年に長女・伽羅(きゃら)さん、2010年に次男・玄兎(げんと)さんが誕生しました。

長男の雅樂さんは、189cmの高身長でUTAの芸名でモデルをしています。

長女の伽羅さんは本名の内田伽羅の名前で、2010年に映画『FURUSATO -宇宙からみた世界遺産-』で女優デビュー。

2011年公開の是枝裕和監督の映画『奇跡』では、高崎映画祭・最優秀新人女優賞を受賞。

『奇跡』のオーディションを勧めたのは祖母の樹木希林さんで、同映画で共演しています。

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