ジャイアンツに所属していた元プロ野球選手で、野球センスや状況を読んだ打撃などのから「クセ者」と呼ばれた元木大介さん。
この記事では元木大介さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
元木大介の学歴
元木大介の小学校
元木大介さんの出身小学校は 豊中市立高川小学校
1971年、大阪府豊中市出身。家族みんなが野球好きで、父親、6歳年上の兄も野球をしていて、自分も気がつけば野球をやっていたといいます。
小学2年生の時に「少年野球チームに入るか?」と聞かれた時には迷わず「やりたい」と答え、ボーイズリーグのジュニアホークスに入団。
入る時に父親とは
『やるからには途中でやめない』
という約束をしたそうです。
入団から2年間は練習だけで試合に出ることはできず辞めたかったといい、父親との約束を守るために続け、4年生になって試合に出られるようになると、野球の楽しさを実感しました。
元は南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)のファンでホークス友の会に入会し、ジュニアホークスにも入りましたが、小学6年生の時に当時の巨人の監督で憧れだった王貞治さんと一緒に写真を撮ってもらう機会があり、その時に「プロになるなら巨人に来いよ」と言われたことで巨人ファンになりました。
元木大介の中学校
元木大介さんの出身中学校は 豊中市立第十二中学校
中学時代もジュニアホークスに在籍。
中学1年生の時に監督の指示でピッチャーから、ショートにコンバートされました。
ピッチャーがやりたかったそうですが、内野の中心のショートに嫌ではなかったそうです。
ショートになったの後、1番ショートで全国大会に出場しました。
元木大介の高校
元木大介さんの出身高校は 上宮高校 (偏差値56~65)
大阪府大阪市天王寺区上之宮町にある男女共学の私立高校。
設置学科は普通だけですが、パワーコース、英数コース、プレップコースの3つのコールがあります。男女共学化されたのは2011年からで、それまでは男子校でした。
野球の強豪校で出身者の多くのプロ野球選手の他、お笑い芸人の星田英利さん、華井二等兵さんなどがいます。
高校時代は1年生から4番を務め、夏の甲子園に出場。
その後も3年間で3回甲子園に出場し、高校通算24本塁打。
甲子園では通算6本塁打を記録。この記録は清原和博さんに次いで歴代2位タイ。
3年の夏の甲子園の時は大フィーバーで、女性ファンが殺到。
開会式当日は、混乱を避けるために上宮高校だけ隔離されるという異例の措置が取られました。
元木大介の経歴
1989年10月のドラフト会議では巨人の入団希望を公言しましたが、巨人は慶応大学の大森剛さんを1位指名。
元木さんは福岡ダイエーホークスから野茂英雄さんの外れ1位で指名されましたが、悔しさのあまり号泣。
ダイエーの入団を拒否し、1年間ハワイに野球留学。
大学や社会人チームに入らなかったのは、ドラフトが解禁になるのは大学だと4年後、は社会人だと3年後になることが理由でした。
1990年のドラフト会議で巨人に1位指名を受けて入団。契約金は9000万円、年俸は840万円。
1992年から一軍で出場し、ピッチャーとキャッチャー以外どこでも守れるユーティリティープレイヤーとして活躍。
打席では高校時代はスラッガーでしたがプロ入り後は、勝負強い場ティングでつなぎ役に徹し、長嶋監督からは卓越した技術とセンスによるプレーから「くせ者」「スーパーサブ」と評されました。
最高年俸は2002年の1億2000万円。
2003年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年には堀内恒夫監督のチーム若返りの方針で、後半戦は戦力構想から外れて二軍生活を送り、9月に戦力外通告を受けました。
オリックスや楽天から入団の誘いはありましたが、浪人して巨人に入団した経緯もあり、
『ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた』
と33歳で引退。
引退後はアワーソングスクリエイティブに所属し、『THE・サンデー』(日本テレビ)のスポーツコーナーにレギュラー出演。
野球解説者も務めながら、タレント業や、、Vシネマ中心に俳優としても活動しました。
2019年からは、原辰徳監督の直々のオファーで、巨人の一軍内野守備兼打撃コーチに就任。
2023年まで務め、2024年からは巨人が子供たちに野球指導するスクール『ジャイアンツアカデミー』の校長に就任しました。
元木大介の妻や息子
元木大介さんの妻は、2歳年上でアナウンサーの大神いずみさん。
グアムで収録した特番で出会い、帰りの飛行機で一緒なったことがきかけで交際に発展。2000年1月、29歳の時に結婚しました。
子供は息子が2人で、長男の翔大さんが2006年1月、次男の瑛介さんが2010年8月に誕生しています。
長男の翔大さんは大阪の野球の強豪・履正社高校の野球部で活躍し、2024年からは東海大学野球部に入りました。