ハスキーボイスで知られ、ヒット曲『ダンシング・オールナイト』を持つシンガーソングライターのもんたよしのりさん。
再デビューでのヒットでした。
この記事ではもんたよしのりさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
もんたよしのりの学歴
もんたよしのりの小学校
もんたよしのりさんの出身小学校は 神戸市立東灘小学校
1951年、広島県福山市生まれ、兵庫県神戸市育ち。本名は門田 頼命(かどた よしのり)。
実家は神戸市灘区にあった老舗寝具店『大白』。6人兄弟の長男。
神戸市はもんたさんが小学生の頃は漁師町で、白い砂浜が広がっていた芦屋の浜で泳ぎ、山もあったので遊ぶには最高だったと話しています。
小学校は本庄小学校に入学し、4年生の時に東灘小学校ができて、1期生として入学しました。
もんたよしのりの中学校
もんたよしのりさんの出身中学校は 神戸市立本庄中学校
中学時代はハンドボール部に所属し、市大会で優勝しました。
中学1年生の時に授業で作った鉱石ラジオから流れてきた、ビートルズの『抱きしめたい』のメロディに衝撃を受け、ビートルズに夢中になりコピーバンドも結成しました。
もんたよしのりの高校
もんたよしのりさんの出身高校は 報徳学園高校 (偏差値48~61)
兵庫県西宮市上大市5丁目にある私立の男子校。
設置学科は普通科のみですが、難関国公立大学現役合格を目指す選抜特進コース、国公立大学・難関私立大学(関関同立)現役合格を目指す特進コースなどに別けらています。
出身者には俳優の森山未來さん、茶谷優太さんなどがいます。
高校はハンドボールのセレクションに合格して報徳学園高校に進学。
高校時代もハンドボール部に所属していましたが、バンド活動もしていて、気持ちは音楽活動に向いていたといいます。
高校の先輩でダンスホールで歌っている人がいて、ある日、都合が悪くなったからと頼まれ、初めて人前で歌い、高校は2年で退学し本格的に音楽活動を始めました。
父親は反対しましたが、頼むと楽器や機材の運ぶのに車を出すなど手伝ってくれたそうです。
もんたよしのりの経歴
1968年に高校を2年で中退後は、地元で音楽活動を行い、ラジオの公開収録に出演した際にディレクターに『フォークのコンサートがあるので、出ないか』と誘われ、初めてのコンサートに出演。
持ち時間の10分で出演すると、レコード会社の目に留まりデビューが決定。
1971年、20歳の時に上京し、8月1日に『この足の鎖ひきちぎりたい』でソロデビューしましたが、ヒット曲には恵まれませんでした。
ハスキーボイスで知られますが、元々は細く高い声で声帯が弱く、そのうちに声がかれてきて、だんだ太い声に変わってきったといいます。
R&Bシンガーのしゃがれた声に憧れて、芦屋の海で大声で叫んだりこともあったそうです。
曲を書くことも覚え、5年間でシングル4枚、アルバム1枚を発売しましたが売れることはなく、一時期は帰郷し実家の寝具店を手伝っていました。
実家に帰って数ヵ月後に、東京で知り合っていたNHKのドキュメンタリー班の人から連絡がきて、ミュージシャンの下積み生活をドキュメンタリー番組にしたいと言われ、再度上京。
1980年4月に『もんた&ブラザーズ』で再デビューし、自身が作曲した『ダンシング・オールナイト』をリリースすると、発売前から有線放送で火がつき、オリコンシングルチャートで 1位を獲得する大ヒットとなり、年末には
第22回日本レコード大賞・金賞
を受賞し、第31回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしました。
作曲家としても活躍し、多くのCMで歌唱、楽曲提供を行い、西城英樹さんの『ギャランドゥ』の作詞・作曲も行いました。
もんたよしのりの妻や子供
もんたよしのりさんは1982年に、一般女性の恭子さんと結婚。
結婚後はもんたさんのマネージャーを務めていました。
子供は娘が1人で、1983年4月27日にこむぎさんが誕生。
1998年に門田こむぎの名前で、ダンス・ボーカルグループ『COLOR』を結成し、1999年にシングル『DOUBLE OR NOTHING』でデビューしましたが、2002年に関西大学進学のために脱退。
大学卒業後は、社交ダンサーとなり、その後はインストラクターとして活動しているようです。
もんたよしのりの晩年・死因
2023年10月18日朝に自宅で倒れ、救急搬送されましたが、大動脈解離のため死去。72歳でした。
突然の死で、亡くなる1ヶ月前の9月26日にはNHKの音楽番組『うたコン』に生出演し、衰えぬハスキーボイスで『ダンシング・オールナイト』を披露してました。
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