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水谷隼の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 水谷隼

2016年リオデジャネイロオリンピックでシングルスで銅メダル、2020年東京オリンピックでは、混合ダブルスで金メダルを獲得した元卓球選手の水谷準さん。
この記事では水谷隼さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。

水谷隼の学歴

水谷隼の学歴

小学校  磐田市立磐田北小学校
中学校  青森山田中学校
高校   青森山田高校
大学   明治大学

水谷隼の小学校

水谷さんの出身小学校は 磐田市立磐田北小学校

1989年6月、静岡県磐田市出身。父親も母親も卓球の経験者で、父親は磐田市で『豊田町卓球スポーツ少年団』設立し代表を務め、母親はコーチで、兄も妹も卓球をしていました。

両親の影響し5歳から自宅で卓球を始め、当初は親に怒られないため必死にやっていたといいます。

幼少期にはサッカー、バレーボール、バスケットボールなど様々のスポーツもしていました。

小学1年生の時に出場した全日本卓球選手権大会バンビの部(小学校2年生以下)で準優勝したことで、本格的に卓球の道に進み、翌年のバンビの部では優勝。
8歳の時にジュニアのクラブチームのヤマハクラブに入りました。

ヤマハクラブに入った後は、練習が嫌で毎日どうやって練習から逃れようかを考えていたといいます。
そんなある日に、台から遠く離れて、ボールを高く山なりに返球して相手の強打をしのぐという技術「ロビング」が楽しいことに気付き、ロビングを使うようになって、意識的にラリー主体のプレースタイルを目指すようになったそうです。

水谷隼の中学校

水谷隼さんの出身中学校は 青森山田中学校 (偏差値48)

青森県青森市青葉にある1918年に創立された、男女共学の私立学校。
中学校の偏差値は48、高校の偏差値は40。
スポーツの強豪校で、特にサッカーは何度も全国優勝を果たし、多くのプロ選手を輩出しています。
卓球では福原愛さんも出身者で、卓球部の1学年先輩でした。

卓球の練習環境を考え、同校に入学し中学から寮で生活していました。

2年生の時に出場した2004年1月の全日本卓球選手権ジュニアの部で優勝。男子では史上最年少での優勝でした。
また、2年生の時にはドイツに渡り、ドイツリーグ・ブンデスリーガで卓球留学も経験しました。

水谷隼の高校

水谷隼さんの出身高校は 青森山田高校 普通科・スポーツコース(偏差値40)

高校は内部進学で入学。

世界ジュニア選手権では男子団体で日本初の銅メダル獲得に貢献。

2005年には15歳10ヶ月という当時の男子史上最年少で世界卓球選手権日本代表に選出されました。
この記録は後に張本智和選手が更新しました。(13歳6ヶ月)

代表選出後は、ドイツリーグ・ブンデスリーガでプレイし1年の大半をドイツで過ごしました。
しかし、ドイツではイタリアンの店で、3~4ユーロのピザとコーラという食生活で高校1年の時に右脛を疲労骨折。
半年間も卓球から離れ、以降は食生活を改善しました。

2005世界ジュニア選手権男子団体で日本初の金メダルに貢献。男子シングルス日本初の銀メダル獲得しました。

2006年、高校2年生の時には全日本卓球選手権では男子シングルス、男子ダブルス、男子ジュニアの部シングルスを制し3冠を達成し、男子ジュニアの部シングルスでは史上最多の3回優勝

同年に当時の史上最年少の17歳7ヶ月での全日本卓球選手権で優勝を果たした。
後に張本智和選手が更新しています。(14歳208日)

水谷隼の大学

水谷隼さんの出身大学は 明治大学 政治経済学部(偏差値62)

東京都千代田区神田駿河台に本部がある私立大学。2007年に入学。

2007年~2008年シーズンはドイツ・ブンデスリーガにデュッセルドルフに加入しプレー。
アジアジュニア卓球選手権では、日本団体初の金メダルに貢献。

初めて出場した、2008年北京オリンピックではシングルでベスト32。団体では5位入賞。

2009ユニバーシアードベオグラード大会では、日本スポーツ選手団の主将を務め、男子団体で銅メダルに貢献。

2010年1月には世界ランキングで初めてトップ10入りを果たし、同年から中国スーパーリーグの四川郵儲・先鋒汽車に加入。

2012年に明治大学を卒業しました。

水谷隼のプロフィール

名前   水谷隼
生年月日 1989年6月9日
出身   静岡県磐田市
身長   172cm
血液型  A型

2012年に明治大学卒業後は、スヴェンソンと所属契約。

同年7月には世界ランキングで自己最高の5位にランクイン。

2012年ロンドンオリンピックではシングルスでメダルを期待されましたが、4回戦で敗退しベスト16。男子団体では5位でした。
同年の世界卓球選手権大会では男子団体で銅メダルを獲得、翌年の2013年世界卓球選手権パリ大会でダブルスで銅メダル獲得。

全日本卓球選手権大会では3年ぶり6度目のシングルス優勝を達成しました。

3度目の2016年リオデジャネイロオリンピックでは、オリンピックシングルスで男女通じて日本人初の銅メダルを獲得。
男子団体では初の銀メダルを獲得しました。

2017年にはマレーシアでスタートしたプロリーグ『アジア太平洋リーグ』に参戦し、シングルス3位、チーム戦2位の成績を記録。

2018年の全日本選手権では、張本智和選手に2-4で敗れての5年連続10回目の優勝を逃しました。

同年に開始された日本卓球プロリーグTリーグでは『木下マイスター東京』に加入。

4度目の2020年東京オリンピックでは、男子団体で銅メダルを獲得し、混合ダブルスでは伊藤美誠さんと組んで金メダルを獲得。

オリンピック終了後に32歳で引退しました。

水谷隼の結婚した妻は子供

水谷隼さんはは2013年11月、24歳の時に結婚。
妻は3歳年下の元卓球選手で名前は海那さん。青森山田高校時代の中学の後輩でした。

中学と高校の合同練習で出会い、内容は不明ですが水谷さんが海那さんとトラブルに巻き込んでしまい、海那さんの友人から連絡先を聞き直接謝罪したといい、これがきっかけで連絡を取り合うようになり、水谷隼んが17歳、海那さんが14歳の頃に交際をスタート。
お互い初めての交際相手で、交際期間7年で結婚しました。

子供は娘が1人で、2014年5月に誕生しています。

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