祖父は元内閣処理大臣の宮澤喜一さんで、ハーフの宮澤エマさん。
大学はアメリカ、イギリスの大学に留学しました。
この記事では宮澤エマさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
宮澤エマの学歴
宮澤エマの小学校
宮澤エマさんの出身小学校は 森村学園初等部
1988年11月23日生まれ、東京都出身。父親はアメリカ人で元駐日アメリカ合衆国首席公使のクリストファー・ラフルアーさん、母親はジュエリーの輸入・通販ビジネスを行う有限会社クラブサーの代表取締役ラフルアー宮澤啓子さんで、日本人をアメリカ人のハーフ。
5歳年上の姉はアメリカで活動する起業家のラフルアー宮澤沙羅さん。
母方の祖父は元内閣処理大臣の宮澤喜一さんで、エマさんは祖父のことを「グラン・ダッド」と呼んでいました。
家庭は裕福でしたが、「なんでも買ってもらったみたいな家庭ではまったくない」と話しています。
父親の仕事に関係で日本と幼稚園の頃までは、日本とアメリカを行き来する生活をしていて、3歳の頃に初めて渡米した時には英語が出来なくて3か月間一言の現地の人とは話さず、幼稚園に通うために日本に帰国した時には、今度は日本語ができなくなっていたといいます。
子供の頃は社交的な姉とは正反対で、引っ込み思案だったそうです。
幼稚園、小学校は神奈川県横浜市緑区長津田町にある森村学園に入学。
森村学園幼稚園、森村学園初等部時代は歌手のMay.Jさんと同級生でした。
姉が入っていた影響で、エマさんも小学生の時には演劇部に入っていました。
宮澤エマの中学校・高校
宮澤エマさんの出身中学校・高校は 聖心インターナショナルスクール中等科・高等科
東京都渋谷区広尾4丁目にあるカトリック系の女子校インターナショナル・スクール。
1910年(明治43年)に開設された聖心女子学院外国人部を起源とする学校で、出身者にはタレントの関根麻理さん、女優のマイコさんなどがいます。
森村学園初等部の友達と一緒に中等部に進学したと思っていましたが、バイリンガルになってほしいとの両親の意向で、中学校、高校はインターナショナルスクールに通うことになったといいます。
しかし、入学した時には再び英語が出来なくなっていて入学には不安を覚え、最初の3~4ヶ月はしんどかったといい、夏休みに親に無理やり参加させられた「サマーキャンプ」で1ヶ月間英語のみの環境で生活した結果、新学期になってから楽になったそうです。
中学、高校時代も演劇部や合唱部に所属し、歌にのめり込んでいたといいます。
合唱部には宮本亜門さんの弟の在籍していて、一度宮本亜門さんに歌を聞いてもらったことがあり、芸能活動を始めた後にはオーディションに誘われて舞台デビューにつながっています。
宮澤エマの大学
宮澤エマさんの出身大学は オクシデンタル大学 (偏差値-)
アメリカ合衆国カリフォルニア州の私立大学。第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマさんも2年間在籍した大学です。
『私、勉強があまり好きではなくて、それでも大学は行っておいたほうがいいだろうという感覚でアメリカの大学に行ったんです。そこで宗教学を学びはじめたら、とてもおもしろくて初めて勉強を楽しいと思えました。』
社会学の勉強になると思い、宗教学を専攻したそうです。
大学3年生の時にはイギリスのケンブリッジ大学に1年留学。
ケンブリッジ時代にはビッグバンドのボーカルで歌ったりと音楽に触れる機会が多く、大学入学後は距離を置いていましが改めて自分を表現する仕事に就きたい思い、オクシデンタル大学卒業後の2012年に芸能界入りしました。
宮澤エマの経歴 鎌倉殿の13人でブレイク
芸能界入り後、初めてのテレビ出演は『ネプリーグ』(フジテレビ)で、「孫タレント」枠で出演。同じ「元総理の孫」としてDAIGOさんと共演しました。
2012年10月からは情報番組『ニッポン・ダンディ』(TOKYO MX)のコーナーの進行役・バーディとして2014年まで出演。
高校時代に歌を聞いてもらったことのある、宮本亜門さんの勧めでオーディションを受け2013年にミュージカル『メリリー・ウィー・ロール・アロング~それでも僕らは前へ進む~』で女優デビュー。
ミュージカルでの活動を経て、2018年8月から放送された『いつかこの雨がやむ日まで』(東海テレビ・フジテレビ系)でドラマ初出演。
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で北条義時の妹・実衣を演じブレイクしました。
宮澤エマの結婚歴や夫、子供
宮澤エマさんに結婚歴はありません。
熱愛報道は2016年にアイドルグループ・ふぉ~ゆ~の福田悠太さんとの関係が報じられましたが、宮澤さんはフジテレビ系『ワイドナショー』に出演した際に「お友達です」と否定。
2022年にはミュージカルで共演した俳優の森崎ウィンさんと熱愛が報じられました。