高知県出身の演歌歌手で、「ビタミンボイス」のキャッチフレーズで知られる三山ひろしさん
けん玉を始めたのはデビュー後からでした。
この記事では三山ひろしさんの学歴、経歴、生い立ちや、歌手デビューのきっかけ、結婚や妻子供などについて紹介しています。
Contents
三山ひろしの経歴・プロフィール
三山ひろしの小学校 将来歌手になると決意
三山ひろしさんの出身小学校は 南国市立長岡小学校
高知県南国市出身。本名は恒石 正彰(つねいし まさあき)。弟がいる2人兄弟。
幼少期から歌を唄うのが好きで、初めて唄った歌の記憶は3歳くらいの時で五木ひろしさんの『ふたりの夜明け』だったといい、祖母の影響で小さな頃から演歌に親しんでいました。
小学校は高知県南国市下末松にある南国市立長岡小学校を卒業。
小学生の時に両親が離婚。母親に引き取られ、祖父母、母親、弟の5人で暮らし、母子家庭で育ち、生活は豊かではなかったといいます。
子供の頃から多数のカラオケ大会に出場し家電製品やスイカなど数々の賞品を手に入れていました。
小学生の時には将来歌手になると決めていたといいます。
三山ひろしの中学校 アルバイトで生活を支える
三山ひろしさんの出身中学校は 南国市立鳶ケ池中学校
高知県南国市東崎にある公立中学校。
中学時代はサッカー部に所属。
また、生活を支えるために新聞配達のアルバイトもしていました。
当時、心の支えになっていたのは祖母の好きな演歌だったといい、中学時代も祭りのカラオケ大会などで唄っていました。
三山ひろしの高校 歌手の夢を1度挫折
三山ひろしさんの出身高校は 山田高校 (偏差値38)
高知県香美市土佐山田町旭町3丁目にある男女休学の高知県立高校。
設置学科は普通科と商業科。
出身者には漫画家のはらたいらさんなどがいます。
高校1年生の時は弓道部に所属。その後は演劇部や自然科学部などにも入っていたといいます。
『小学校低学年で歌手になると決めてからずっと歌の練習に励んできたのに、鐘二つ。だから挫折感がすごくて、実はあのときに一度歌を諦めているんです。』
高校2年生の時に地元の高知にで行われた『NHKのど自慢』に出場し吉幾三さんの『雪国』を披露しましたが、鐘は2つしか鳴らなかったことから一度は歌手の夢を諦め、高校卒業後はガソリンスタンドに就職し、社員として働き始めました。
三山ひろしの学歴
歌手デビューのきっかけ
ガソリンススタンドに就職しましたが、「歌手になる夢をあきらめてほしくない」と思っていた祖母の勧めで、祖母と一緒に詩吟を習い始めました。
このことが歌手の夢をもう一度追いかけるきっかけになり、「詩吟より演歌」との祖母の後押しもあり、本格的に演歌のレッスンを始め、2004年1月に地元高知で開催された『NHKのど自慢』に再び出場。
氷川きよしさんの『白雲の城』を唄い、この大会のグランドチャンピオンに、3月にはグランドチャンピオン大会にも出場しました。
25歳の時に歌手を目指して上京し、演歌歌手の松前ひろ子さんがオープンした「Liveレストラン青山」でウェイターとして働きながら、松前さんの夫で作曲家の中村典正さんの弟子となり3年間修業。
2007年7月、「日本クラウン創立45周年記念新人オーディション」で準グランプリを受賞し、2009年6月3日、28歳の時に『人恋酒場』で演歌歌手デビューしました。
2010年9月にはデビュー曲「人恋酒場」が10万枚を突破。
2012年11月7日に発売した5枚目のシングル『男のうそ』で初のオリコン演歌チャート1位を獲得。 2015年には紅白歌合戦に初出場を果たしました。
けん玉を始めたのはデビュー後
けん玉が得意なことで知られる三山さんですが、けん玉は子供の頃からやっていたわけではなく、始めたのは2013年頃でコンサートの余興としてでした。
その後、日本けん玉協会会員となり全国に600人しかいない二段を取得し、2015年には段を取得。
そのことを聞きつけたNHKのスタッフに依頼され2016年から紅白歌合戦で、三山さんが唄っている間のけん玉仲間たちとけん玉リレーのギネス記録に挑戦する企画が行われました。
結婚や妻、子供
三山たけしさんは2012年に、松前ひろ子さんと師匠の中村典正氏の次女と結婚。
松前さんが経営する「Liveレストラン青山」のウェイター時代に出会い、デビュー前の2009年に交際がスタートしたといいます。
子供は娘と息子の2人がいます。