俳優としてデビューし、司会者、タレントしても活躍した峰竜太ささん。
この記事では峰竜太さんの学歴、経歴、生い立ちや、芸能界入りしたきっかけ、結婚や妻、子供などについて紹介しています。
峰竜太の経歴・プロフィール
峰竜太の小学校
峰竜太さんの出身小学校は 下條村立下條小学校
長野県下伊那郡下條村出身。本名は下嶋 清志(しもじま きよし)。
実家は曽祖父の開業した酒屋で、父親の代からはスーパーマーケットになっています。
男4人兄弟の末っ子で、祖父母、叔父叔母も同居する大家族でした。
小学校は長野県下伊那郡下條村睦沢にある下條小学校に入学。
小学校から帰ると実家の配達を自転車で手伝い、農業もやっていたので繁忙期には田植えや稲刈りも手伝っていました。
下條村は「下條歌舞伎」という大衆芸能が受け継がれていて、祖父や叔父が舞台に立ち、子供の頃には峰さんも出演していました。
峰竜太の中学校
峰竜太さんの出身中学校は 下條村立下條中学校
長野県下伊那郡下條村睦沢にある公立中学校。
中学時代は陸上部と演劇部を掛け持ちしていました。
当時の農村部の小学校、中学校には「農繁休業」というものがあり、農業が忙しい時期には手伝いをするために学校が休みになり、子供たちはよく働いていたといいます。
峰竜太の高校
峰竜太さんの出身高校は 阿南高校 (偏差値37)
長野県下伊那郡阿南町北条にある男女共学の長野県立高校。
出身者にはものまねタレントにニッチローさんがいます。
高校時代も陸上部に所属。
やり投げでインターハイに出場た経験があるといいます。
高校卒業後は俳優を目指して上京しました。
峰竜太の学歴
俳優になったきっかけ
地元の大衆芸能「下條歌舞伎」の影響と、小学生の時に実家にテレビが来たことで、芸能界に興味を持ち俳優に憧れるようになったいいます。
役者への思いは強くなり、高校卒業後は俳優を目指て上京しました。
末っ子で店は兄がすでに継いでいたこともあり、家族には反対されることはなく「頑張ってこい」と送り出してもらったといいます。
石原プロモーションに所属
上京後は「とりあえず食べるために」と会社に就職して横浜の寮に入り、夜は養成所のタレントセンターに通う生活を半年間続けた後、モデル事務所に所属。
日本テレビ系の子供番組『おはよう!こどもショー』に「お兄さん」として出演していました。
その後、1973年に劇団青年座に入団し、1976年からは石原プロモーションに所属。
石原プロ制作するドラマ『大都会』『西部警察』などに出演しました。
当初は2枚目路線でしたが、『西部警察』でひょうきん者の刑事・平尾一兵を演じたことがきっかけで明るいキャラクターが浸透し、石原プロ関連のイベントなどでは盛り上げ役として活躍しました。
バラエティ番組にも活動の場を広げ、石原プロでは異色の司会者、タレントとして多くの番組に出演。
バブル崩壊後には、石原プロの制作活動の規模縮小のため、看板俳優だった舘ひろしさんや神田正輝さんを抑えて、事務所の稼ぎ頭となりました。
2000年に24年間所属した石原プロから独立し、実家のスーパーマーケットの名前にちなんだ「オフィスさかや」を設立。
独立を考えた時に渡哲也さんに相談すると「お前、絶対出た方がいいから頑張れ」と背中を押されたそうです。
独立以降は司会業を中心に活動し、2002年から2006年までは平日朝のワイドショー『ザ!情報ツウ』(日本テレビ)のメイン司会を務ました。
一時期は土曜日は東海テレビの『ドラゴンズHOTスタジオ』(『スーパーサタデー』、日曜日はTBSの『アッコにおまかせ!』と、全曜日に生放送のレギュラー番組を持っていました。
結婚歴や妻、子供
峰竜太さんは1975年、23歳の時に結婚。
妻は1歳年下で、元タレントの海老名みどりさん。
海老名さんは落語家・初代林家三平さんの長女で、弟は9代目林家正蔵さんと2代目林家三平さん。
馴れ初めはモデル事務所時代に出演していた『おはよう!こどもショー』で共演でした。
峰さんの浮気が報じられた際には海老名さんが見守る中、謝罪会見を行い「恐妻家」のイメージが定着。
以降は家庭円満が続いているといいます。
子供は娘と息子の2人で、1977年1月に長女の生(うぶ)さん、1983年1月に長男の兄(けい)さんが誕生しています。
息子の下嶋兄さんはタレント、俳優として活動し、2013年からはテレビ信州のローカル情報番組『ゆうがたGet!』の木・金曜日のMCを担当。
2019年には大手航空会社CAと結婚したことが発表されました。
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