美川憲一の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 美川憲一 歌手・ミュージシャン

ヒット曲『柳ヶ瀬ブルース』や『さそり座の女』を持つ歌手の美川憲一さん。
「おだまり!」など、オネエ言葉を使うことで知られます。
この記事では美川憲一さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

美川憲一の学歴

美川憲一の学歴

小学校  港区立南桜小学校
中学校  港区立愛宕中学校
高校   正則高校
大学   進学していません

美川憲一の小学校

美川憲一さんの出身小学校は 港区立南桜小学校(現在は閉校)

1946年、長野県諏訪市生まれ。本名は百瀬 由一(ももせ よしかず)。
父親は妻子がいる男性で、母親は未婚で出産。
父親は神田で会社を経営する実業家、母親はダンスホールでダンサーとして働いていました。

母親は相手が既婚者だとは知らず、結婚を前提で交際していましたが、出産後は会いに来ることはなかったといいます

出産後は母親がひとりで育てていましたが、美川さんが2歳の時に肺結核を患い、母親の姉夫婦に引き取られました。
以降は姉夫婦を両親だと思って育ち、実の親でないこと知ったのは中学1年生の時で、実の父親とはテレビの企画で30代の時に始めて会い、その後、謝罪されたそうです。

養父は書道家でお手伝いさんがいる家庭で育ちましたが、小学5年生の時に養父が他界。
その後は、養母が保険の外交員や料亭の仲居をして働き必死に育ててくれました。

美川憲一の中学校

美川憲一さんの出身中学校は 港区立愛宕中学校

同中学校は1969年に北芝中学校に統合され、現在は御成門中学校。

中学1年生の時に、隣のおばさんに『あんたの本当のお母さんは、叔母ちゃんなのよ』と言われ、実母でないことを知りました、養母にかわいがられて育ったことから、ショックではなかったといいます。その後、2人の母か事実を語られ、すべてを受け止めたそうです。

子供の頃から絵画やバイオリンを習い、中学生の頃には日本舞踊を習っていました。

美川憲一の高校

美川憲一さんの出身高校は 正則高校 (偏差値52)

東京都港区芝公園三丁目に」ある男女共学の私立高校。
出身者には声優の玄田哲章さん、タレントの森田健作さんなどがいます。

高校時代は剣道部に所属しましたが、中学で養父が亡くなっていることから、育てに母親と実の母親を食べさせるために高校は1年で中退し、芸能界を目指し東宝芸能学校に入学。
東宝芸能学校の費用は、清掃員や喫茶店などで働いて稼ぎました。

美川憲一の経歴

美川憲一のプロフィール

名前   美川憲一
生年月日 1946年5月15日
出身   長野県諏訪市
身長   173cm
血液型  A型
所属   オフィス・ミカワ

当初は俳優志望で、1964年にオーディション受け『大映ニューフェイス』の17期生に合格。

しかし、当時通っていたジャズ喫茶でスカウトされ、翌年の1965年に歌手に転向。
同年6月に『だけどだけどだけど』で歌手デビュー。

1966年4月に発売した3枚目のシングル『柳ヶ瀬ブルース』が売り上げ120万枚を越える大ヒットを記録し、一躍スター歌手になりました。

デビューは青春歌謡路線で売り出されたことから、演歌調の『柳ケ瀬ブルース』を歌うことには抵抗があり、レコーディングの時には嫌々歌うと、「若いのに冷めてていいねー。」と褒められたといいます。

『柳ヶ瀬ブルース』はロングヒットし、1970年には第3回日本有線放送大賞特別賞を受賞。

『柳ヶ瀬ブルース』以降は1967年に『新潟ブルース』、1968年に『釧路の夜』をリリースし、ご当地ソングの元祖となりました。

『釧路の夜』は45万枚売り上げ、同曲で1968年の『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場。

その後もヒット曲を出しましたが、1970年の30万枚を売り上げた『おんなの朝』は、「歌詞の内容が過激すぎる」とNHKでは歌唱禁止になっています。

1977年10月にに大麻取締法違反で逮捕され、1984年にも大麻取締法違反で2度目の逮捕。
以降は人気は低迷しました。

コロッケのものまねで人気が復活

ものまねブームになり、コロッケさんの美川さんのものまねが受け、1989年正月の『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』でコロッケさんが歌う途中でサプライズ登場し共演。
これは「ご本人登場」に第1号でした。

この出演が大反響を呼び、人気が復活。

『あんた私のものまねをおやり』

ものまねは、元から交流がったコロッケさんに美川さんから持ち掛けたことだったといいます。

コロッケさんには感謝していましたが、テレビでは「いい迷惑よ。」というなど、その発言もウケ、翌年の1990年には『タンスにゴン』のCMに出演。

CMでは「もっと端っこ歩きなさいよ」の台詞がウケて、1991年に17年ぶりの『さそり座の女』で紅白歌合戦に出場。

以降は、衣装も話題になり、2009年までで累計26回出場しました。

美川憲一のオネエ口調はキャラ

美川憲一さんは恋愛対象は女性であるいと明言し、初体験は18歳の頃で、友人の紹介で知り合った相手とも話しています。

オネエ言葉を使いい始めたのは『タンスにゴン』のCMの台詞「もっと端っこ歩きなさいよ」がきっかけだったと話し、このCM以降は自身も楽しみながら、オネエキャラを貫いてきたといいいます。

『男らしくマッチョになりたいわけでもない、女性らしくしたいわけでもない。美川憲一はこのスタイルでいいじゃない。自分の好きな服を着ればいいし、何か言う人がいれば、言わせておけばいいのよ。』

ただ、オネエキャラになってからは、恋愛は難しくなったと話しています。

美川憲一の結婚歴

美川憲一さんに結婚歴はなく独身です。

過去には結婚を考えた相手がいたと話しています。

『もし結婚して子供ができて、美川憲一でいられるかなあと考えて…。お父さんが化粧して、お父さんだかお母さんだか分からない、学校でいじめにあったりしないかと。』

子供ができた時のことを考えて、結婚を諦めたといいます。

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