ライオンとヒョウに立て続けに襲われながら、生還したことで有名な松島トモ子さん。
麦茶のCMでも知られます。
この記事ではそんな松島トモ子さんが学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
松島トモ子の学歴
松島トモ子の小学校
松島トモ子さんの出身小学校は 目黒区立東根小学校
父親は三井物産の会社員で、旧満州泰天支店に勤務していたことから、松島トモ子さんは満洲国奉天省(現・瀋陽)で生まれました。
父親は生まれる前に出征し、戦後はシベリアに抑留され亡くなり、母子家庭で育ちました。
生後10ヶ月の頃に満州国から引き揚げ、栄養状態が良くなかったため乳児は亡くなることが多く、おぶっていると顔が見えず、いつ死んでいるか分からないので、ずっと母親は松島トモ子さんを前で抱えていたそうです。
3歳から石井漠舞踊研究所に入門しバレエを習い始め、生徒の子供たちが映画館の劇場ニュースで「小さな豆バレリーナ」として取り上げられたことがきっかけで、歌舞伎俳優の阪東妻三郎さんスカウトされ、1949年、4歳の時に子役として映画デビューし、人気子役になりました。
1953年、小学3年生の時には「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」で歌手デビューしています。
松島トモ子の中学校
松島トモ子さんの出身中学校は 不明
中学時代も人気子役として活躍し、少女向け月刊誌「少女」では5歳から15歳まで10年間表紙を1人で務め、芸能雑誌「平凡」でもモデルを務めていました。
中学に入学した頃からテレビが開局し、テレビにも出演するようになり仕事が忙しく、学校との両立は大変で早退、遅刻はしょっちゅう、常に家に家庭教師がいたといいます。
仕事中、移動中もいつも誰かかに見られプライベートはなく、母親が運転免許を取り運転してくれるようになってから、車の中が唯一のプライベート空間だったそうです。
松島トモ子の高校
松島トモ子さんの出身高校は 大東学園高校(偏差値40)
大東学園高校は、東京都世田谷区船橋にある男女共学の私立高校。
出身者には歌手の中森明菜さん(デビュー後に明治大学附属中野高等学校へ転校)、女優の飯島直子さんがいます。
高校在学中に渡米、ニューヨークのザ・マスターズ・ハイスクールに2年か留学し、アメリカの舞踏家・マーサ・グラハムさんのダンス・スクールから奨学金を貰い、ダンスの研修も受けました。
帰国後はミュージカルでも活躍、高校卒業後は大学には進学していません。
松島トモ子の経歴
ミュージカルに出演しながら、ラジオパーソナリティ、テレビタレントとして活躍。
石垣食品の「ミネラル麦茶」のCMには1982年から出演し、2006年まで24年間出演しました。
1986年、41歳の時には日本テレビ「TIME21」の撮影でケニアを訪れ10日の間にライオンとヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギプス姿で記者会見して話題になりました。
撮影で肉で餌付けされ人に慣れた子供のライオンと戯れていたところ、母親のライオンに襲われ、宙に飛び10メートルほど引きずられ、首や太腿に全治10日の怪我を負いました。
入院予定は10日でしたが3日で退院して仕事再開し、再び別の動物保護区を夜に訪れると、柵を跳び越えていたヒョウがいて、松島トモ子さんは目が合ってしまい襲われ、首を噛み付かれ持ち上げられたといい、この時がガリガリと囓られる音が聞こえ、松島トモ子さんは「死んだ」と思ったと話しています。
救助隊に救急ヘリを要求しましたが、「夜間の飛行は危険」との理由で拒否され、朝まで止血しながら耐え、朝にいようやく病院に運ばれ、診断は第四頚椎粉砕骨折。
噛まれた場所があと1ミリずれていたら間違いなく死んでいただろうとされましたが、奇跡的の後遺症もなく生還し、症例はニューヨークの学会で発表されたほどでした。
結婚歴は1度もなく母親と生活し、95歳から認知症を患った母親を5年間介護、2021年10月にに100歳で亡くなりました。