元水泳選手でオリンピックメダリストの松田丈志さん。
この記事では松田丈志さんの学歴、経歴、生い立ちなどについて紹介しています。
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松田丈志の経歴・プロフィール
松田丈志の小学校|水泳を始めたきっかけ
松田丈志さんの出身小学校は 延岡市立東海東小学校
宮崎県延岡市出身。父親、母親、姉、兄の5人家族。
父親は運送会社に勤務。実家は子供の頃は兼業農家で米などを作っていたといいます。
9歳年上の姉がスイミングスクールに通っていたことがきっかけで、4歳の時に水泳を習い始めました。
幼少期から川が好きで、水の中が大好きだったそうです。
小学校は宮崎県延岡市柚の木田町にある延岡市立東海東小学校に入学。
8歳の時に1992年バルセロナオリンピックでの岩崎恭子さんの活躍もあり、小学生の時には水泳に夢中になりました。
松田丈志の中学校|ビニールハウスプールで練習
松田丈志さんの出身中学校は 延岡市立東海中学校
宮崎県延岡市無鹿町1丁目にある公立中学校。
中学、高校のジュニア時代は練習できることがありがたい状況で、中学校の25メートルプールを使用していて冬でも練習できるようにと、子供をスイミングクラブに通わせている親達が屋外プールに手作業でビニールの屋根を付けてくれ、平日はそこで練習。
そのため、後に「ビニールハウス生まれのヒーロー」と称されるようになりました。
ビニールハウスの中でも冬は10度で、とても寒かったといいます。
松田丈志の高校|アジア大会で銅メダル
松田丈志さんの出身高校は 延岡学園高校 (偏差値41~43)
宮崎県延岡市大峡町にある男女共学の私立高校。
1951年(昭和26年)に開校した延岡高等経理学校が前身で、設置学科は普通科、調理科。
スポーツの強豪校で、出身者には多くの野球選手やバレーボール選手、バスケットボール選手がいます。
高校時代もビニールハウスプールで練習を続け、高校の時にボイラーがついて、冬の練習がしやすくなったそうです。
ボイラーが付くまでは土日はスイミングクラブの温水プールで練習もしていましたが、平日は筋トレやランニングなどの陸上トレーニングなども冬場にはたくさんやっていました。
中学、高校時代は水泳中心の生活で、修学旅行などには参加出来なかったといいます。
高校3年生の時には、2002釜山アジア大会 男子200mバタフライで銅メダルを獲得しました。
松田丈志の大学|アテネオリンピックに出場
松田丈志さんの出身大学は 中京大学 体育学部(偏差値52)
愛知県名古屋市昭和区八事本町に本部がある私立大学。体育学部は現在のスポーツ科学部。
大学2年生の時には、2004年アテネオリンピックに出場し、400m自由形8位、200mバタフライ準決勝敗退、1500m自由形予選敗退。
2005年には2005年世界水泳選手権で男子200mバタフライで銀メダル。2005年東アジア競技大会では200mバタフライ金メダル、800m自由形金メダル、400m自由形銅メダル、1500m自由形銅メダルを獲得しました。
松田丈志の学歴
4大会連続オリンピック出場
2007年に中京大を卒業後は、ミズノに入社。
北京オリンピック前のジャパンオープンにて200mバタフライの日本記録・アジア記録を更新。
2008年北京オリンピックでは男子 200mバタフライで銅メダルを獲得しました。
2008年12月31日を以ってミズノを退社。レオパレス21との契約を経て、2010年10月に延岡市創業で福岡県を拠点とするドラッグストアのコスモス薬品と所属契約。
2010年の広州アジア大会 200mバタフライでアジア大会の個人種目では自身初となる金メダルを獲得。
2012年ロンドンオリンピックでは、200mバタフライで2大会連続の銅メダルを獲得、男子400mメドレーリレーでも日本男子史上初の銀メダルを獲得しました。
4大会連続の出場となった2016年リオデジャネイロオリンピックでは、800mフリーリレーにのみ出場。アンカーを務め、1964年東京オリンピック以来、52年ぶりとなる銅メダルを獲得しました。
オリンピック終了後の2016年9月に、32歳で引退。
引退後はスポーツジャーナリストに転身。2018年にはクロスフィットジムを開業しました。
の結婚や妻、子供
松田さんは2016年9月、32歳の時に会社員の女性と結婚。
出会ったのは17歳の時で、結婚の数年前に再会し交際がスタート。約2年半の交際を経て結婚しました。
子供は娘が1人と息子が2人の3人で、2018年1月に長女。2020年4月に長男、2022年11月に次男が誕生しています。