「仮面ライダー龍騎」に出演し注目を集めた俳優の松田悟志さん。
デビューのきっかけは短大時代に応募したジュノンコンテストでした。
この記事では松田悟志さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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松田悟志の学歴
松田悟志の小学校時代 母子家庭育ち
松田悟志さんの出身小学校は 大阪市立平野小学校
1978年12月16日生まれ、大阪府大阪市平野区出身。姉がいる長男。
生後間もなく両親は離婚。生後3ヶ月で母親が姉と松田さんを連れて祖父母のいる大阪市平野区に引っ越しました。
母子家庭で育ち、おじいちゃん、おばあちゃん子でした。
小学校は大阪市平野区平野宮町1丁目にある平野小学校に入学。
小学生の時にはポートボールをやっていて、ポートボール部の友達からNBAの試合のビデオを借りて、その映像に衝撃を受け中学校ではバスケットボール部に入ろうと決意しました。
松田悟志の中学校時代
松田悟志さんの出身中学校は 大阪市立平野中学校
大阪市平野区背戸口1丁目にある市立小学校。
中学時代は小学生の時から入いると決めていたバスケットボール部に入部。
『バスケ部に入ってすぐ、部活に行くようなキャラじゃなくなったんです。要するに、少しやんちゃな感じになっちゃったんです(笑)』
入部1ヶ月の経たずにバスケットボールから離れ、2年生になることにバスケ部の友人に「戻ってこいよ」と声を変えられ、練習を見学に行くと元チームメイトの成長に衝撃を受けたといいます。
焦りのような感情が湧き、翌日から練習に復帰。
『お前の方がうまいかもしれん。だけど、みんなはずっと頑張ってきた。お前が1年間サボってる間も、一生懸命努力してきた。最後かもしれない特別な試合だからこそ、あいつらに代えてお前を出すことはできない』
2年生の終わり頃にはレギュラーを獲得しましたが、3年生最後に大会では監督の考えでスターティングメンバーには選ばれませんでした。
松田悟志の高校時代 バスケに熱中
松田悟志さんの出身高校は 東住吉高校 (偏差値53~60)
大阪市平野区平野西二丁目にある男女共学の大阪府立高校。設置学科は普通科・芸能文化科。
芸能文化科は、歌舞伎、文楽の古典芸能や放送、演劇などの芸能に関する分野の専門科目があり選択できますが、芸能活動をしながら学校に通学するのを目的にしているわけありません。
出身者にはお笑いコンビ・ロッチのコカドケンタロウさん、吉本新喜劇の宇都宮まきさんなどがいます。
高校進学の時には、デザイナーになりたくて大阪工芸高校の進学を考えましたが、母親に「サラリーマンになってほしい」と言われ、進学率の高かった同高校をに進学したといいます。
松田さんが同高校を選んだのはバスケの大阪屈指の強豪校の東住吉工業工業の監督だった先生が転勤してくるとの情報が入ったからでした。
入学試験に合格後、入学前の春休みから志願して練習に参加。
入学後にバスケ部に入った時にはレギュラーになっていました。
中学時代はオールラウンドな能力が要求されるスモールフォワードでしたが、高校ではシューターとしての能力を買われシューティングガードを務めました。
強豪校である東住吉工業高校と姉妹校なのでよく練習試合をしていましたが、結局、勝つことはできず、インターハイ予選でベスト8が最高成績でした。
松田悟志の大学時代 ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募
松田悟志さんの出身大学は 京都芸術短期大学 (偏差値45)
京都府京都市左京区にあった私立大学。
1977年に設置され、2001年に廃止されました。
造形芸術に関する専門教育が行われてた短大で、松田さんはファッションデザインを専攻していました。
大学進学にあたっては、スカウトされていた関西学院大学に進学してバスケを続けるか、以前から夢見ていたデザイナーになるために芸大に進学するか悩んだ末に同大学を選択し、1年間の浪人を経て入学しました。
デザイナーになるための勉強をする一方でバスケ部にも入部。
当初は遊びのつもりで入りましたが、想像以上に本格的に活動している部活で、関西芸大リーグに参加し、2年間で計4回の内、3回優勝。松田さんはその3回すべてで、MVPを獲得しました。
将来はデザイナーになると決めていましたが、在学中の1998年に応募した「第11回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で最終選考会出場したことがきっかけで芸能界の道に開け、卒業後は芸能活動のために上京しました。
松田悟志の経歴 仮面ライダーで初レギュラー
1999年、テレビドラマ『天然少女萬NEXT-横浜百夜篇』(WOWOW)で俳優デビュー。
2002年、『仮面ライダー龍騎』(テレビ朝日)で秋山蓮 / 仮面ライダーナイト役を演じ、初のレギュラー出演し注目され、2004年には『ヴァンパイアホスト』(テレビ東京)でテレビドラマ初主演を果たしました。
以降はドラマ、映画、舞台と幅広く活躍。
2021年8月に所属していたサンミュージックプロダクションを契約満了により退社。
同年10月からノースプロダクション所属となったことが発表されました。
結婚や妻、子供
2015年10月、36歳の時い、当時27歳だった一般女性と結婚。
結婚の数年前に友人紹介で出会い、交際をスタートさせたといいます。
2016年には商業施設内で妻を盗撮した犯人を100メートル追跡した後に取り押さえ、警察に引き渡したことで話題になりました。
子供は2人で、2017年に第1子、2019年に第2子が誕生しています。
『子供たちのために、なんとか折り合いをつけることはできないかと全力で努めてまいりましたが、この度、夫婦としては互いにべつべつの道を歩んで行くことで合意いたしました』
しかし、結婚5年目の2020年8月に離婚したことが発表されました。