愛知県出身で日活全盛期を代表する女優の1人として活躍した松原智恵子さん。
この記事では松原智恵子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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松原智恵子の経歴・プロフィール
松原智恵子の小学校
さんの出身小学校は 名古屋市立道徳小学校
岐阜県生まれ、愛知県名古屋市育ち。12歳と8歳年上の姉と5歳年上の兄がいる4人きょうだいの末っ子。
戦時中に名古屋大空襲を避けるため一家が疎開していた岐阜県で誕生し、戦後は名古屋市に戻りました。
父親はで不動産業営み、母親はビジネスホテルを経営。家庭は裕福で日本舞踊なども習っていました。
小学校は愛知県名古屋市南区道徳新町5丁目にある公立小学校の道徳小学校に入学。
成績は優秀で、将来は医者になりたいと思っていました。
2人の姉もよくミスコンで入賞しるなど美人姉妹として知られていたといいます。
松原智恵子の中学校
松原智恵子さんの出身中学校は 名古屋市立大江中学校
愛知県名古屋市南区道徳新町5丁目にある公立中学校。
中学時代からモテでたくさんのラブレターをもらい、気に入ったひとりだけに返事を返したとそうです。
中学3年生の時に愛知県、三重県などに特に大きな被害をもたらし、行方不明者の数はの5000人を超えた伊勢湾台風を経験。
住んでいた名古屋市南区のでも近くの川が決壊。あっという間に家に水が入ってきて、あわてて2階に逃げて家族は助かったといいます。
その頃はすぐ上の姉が結婚式を控えていて、1階には嫁入り道具がありましたがが、水に浸かり流されたものもあり、全部ダメになってしまったそうです。
その時、家族の写真も流されてしまい、小さい頃の写真はほとんど残っていないといいます。
松原智恵子の高校 女優デビュー
松原智恵子さんの出身高校は 桜台高校 (偏差値50~64)
高校は愛知県名古屋市南区霞町にある男女共学の名古屋市立高校の桜台高校に入学。
設置学科は普通科とファッション文化科。
出身者には小説家の碧野圭さん、俳優の悠木千帆 (2代目)さんなどがいます。
16歳の時に浅丘ルリ子さん主演の日活映画『十六歳』の宣伝を兼ねて開催された、「ミス16歳コンテスト」に副賞の「東京見物」目当てで応募すると合格者の10名に選出。
「東京見物」のコースだった日活撮影所でスカウトされて、好奇心から芸能界入りしました。
1961年、高校1年生の3学期に高校を休学し「3カ月間で女優としてやっていけるめどが立たなければ戻ってくる」との約束で上京。
日活に入社が決まるをと父親が東京都調布市に一軒家を建ててくれ、お手伝いさんと2人で暮らしたといいます。
同年に映画『夜の挑戦者』で端役でビューした後、同年4月公開の『明日に向って突っ走れ』でヒロインに抜擢されました。
瞬く間に出演作品が増え、1961年だけで18本の出演映画が公開されました。
高校は菊華高校に編入。
東京都杉並区阿佐谷南にあった私立の女子校で、現在の杉並学院高校(偏差値56~60)です。
高校は仕事をしながら5年かけて卒業しました。
松原智恵子の大学
松原智恵子さんの出身大学は 明治大学 第二文学部 (偏差値50)
東京都千代田区神田駿河台1丁目に本部がある私立大学。
第二文学部(夜間部)は現在は廃止されています。
大学では英文学を専攻し、7年間在籍しましたが中退しています。
松原智恵子の学歴
ブロマイド売上げ1位
デビュー後、吉永小百合さん、和泉雅子さんの3人で「日活三人娘」と呼ばれ人気となりました。
1967年、22歳の時には吉永さんなどの人気女優を抑え、女優部門でブロマイドの売上げ1位を獲得。
1969年の映画『恋のつむじ風』で初の単独主演を果たし、可憐な清純派スターとして、日活全盛期を代表する女優として活躍しました。
結婚や夫、子供
松原智恵子さん1972年、27歳の時に4歳年上のジャーナリスト黒木純一郎さんと結婚。
馴れ初めは黒木さんが松原さんを取材したことで、食事をしているうち親しくなり交際に発展。
松原さんが人気女優だったため、周囲には猛反対されましたが、約3年の交際期間で結婚しました。
黒木さんが出版する「シルクロード」の本の取材旅行にに松原さんも休みを取り同行。
これが新婚旅行となり、100日間かけてシルクロードをを走破。
車は2台でカメラマンやスタッフ一緒でした。
黒木さんは2022年12月に80歳で亡くなっています。
子供は息子が1人で、1984年5月に誕生。息子は医師をしているといいます。
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