2002年の第2回M-1グランプリで優勝した漫才コンビ・ますだおかだのボケ担当の増田英彦さん。
この記事ではますだおかだの増田英彦さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
増田英彦の学歴
増田英彦の小学校
増田英彦さんの出身小学校は 守口市立梶小学校
1970年2月、大阪府守口市生まれ。父親は淡路島出身。実家は10歳の頃に八百屋を経営し、その後、喫茶店になり、その後は母親がスナックを経営していました。 兄弟は兄がいて、以前は寿司屋を経営していました。
父親はいろんな事業に手を出しては失敗していたといいます。
小学生の時からお笑いが大好き、もんたよしのりさんなどのものまねなどが得意で、小学校の文集では「おもろい漫才師になりたい」と書き、小学生の頃から漫才師になることが1番の夢で、この頃から漫才ごっこをしていたといいます。
小学生の時に付けられてあだ名は「ますこ」で、地元の友達だけでなく、短大、大学時代にもそう呼ばれ、学生時代の後輩からは「ますこさん」と呼ばれているそうです。
増田英彦の中学校
増田英彦さんの出身中学校は 守口市立梶中学校
中学時代のクラスメートには、落語家の桂三度さん(世界のナベアツ)がいました。
三度さんは芸歴では1年先輩になりますが、同級生であるので増田さんは本名の「あつむ」と呼んでいるといいます。
中学2年生の時には文化祭の出し物で、ボクサーが敏腕トレーナーにスカウトされてチャンピオンになるまでを描いた自主映画を、クラスで増田さんの脚本で製作し、その映画準主役の敏腕トレーナー役は桂三度さんでした。
増田英彦の高校
増田英彦さんの出身高校は 大阪電気通信大学高校 普通科(偏差値41)
大阪府守口市橋波西之町にある男女共学の私立高校。設置学科は普通科・電子工業科。
出身者には俳優の石橋正次さん、野添義弘さんなどがいます。
中学、高校時代はプロレスが好きで、プロレスラーに憧れて高校では柔道部に入部しましたが、プロレスごっこしする程度で、プロレスラーに挑戦する自信も勇気もなかったそうです。
それならプロレスのリングアナウンサーになろうと、好きだったアントニオ猪木さんに、
『僕を新日本プロレスのリングアナウンサーにして下さい』
と返信用の封筒に切手を貼って入れて送ったところ
『現在、当社は大卒しか採用してませんし、入社してもリングアナになれるかどうかは、人事の問題なので約束できません。それでも良ければ、大学卒業したらご連絡下さい』
と返事が届きましたが諦めきれず、新幹線に乗って上京し、新日本プロレスの事務所にアポなしで押しかけましたが、門前払いだったそうです。
増田英彦の大学
増田英彦さんの出身大学は 関西外国語大学 外国語学部英米語学科(偏差値55)
高校卒業後は、関西外国語大学短期大学部・米英語学科に進学。
大阪府枚方市中宮東之町に私立の短大で、英米語学科の偏差値は47。
「ますだおかだ」の相方となる岡田圭右さんとた短大の同級生として出会いました。
短大時代は学友会の会長を務め、演劇部に所属していました。
演劇部では演劇はせずに。キャンパス内でお笑いライブを開催し、同級生とコンビを組んで出場。
岡田さんも別なコンビを組んで出場していました。
2年生の時に増田さんは岡田さんを吉本興業の養成所「NSC」に誘いましたが、この時は断られています。
短大を卒業後は、関西外国語大学・外国語学部英米語学科の3年次に編入。
大学3年生の時には、合格率3%とも言われる狭き門のボートレーサーの養成所の試験を受けて合格しています。
試験を受けたのは特にボートレーサーになりたかったわけではなく、岡田さんをお笑いに誘って断られ、当時、交際していた彼女にもフラれたショックからヒッチハイクでの日本1周の旅に出て、帰って来た時にテレビで「ボートレーサー募集」のCMを見たそうです。
調べてみるとボートレーサーの平均年収は1600万円で、最低でも500万円だったことから受けてみようと決意。
体重制限があったため試験までに5kg減量し、4日間の適正試験に合格ましたが、悩んだ末に辞退したそうです。
4年生の時には学園祭の実行委員になり、イベントの司会をしていたところを松竹芸能にスカウトされ、再び岡田さんを誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通いましたが、3ヶ月後、岡田さんは嫌がり退所。
大学卒業後は、広告代理店の「大広」に就職。会社の同期には俳優の佐々木蔵之介さんがいました。
増田英彦の経歴・ますだおかだ結成
岡田圭右さんは短大卒業後、大阪外語専門学校に入学し、卒業後は文具メーカー「クツワ」に就職していました。
増田さんは「大広」就職後も岡田さんを誘い続け、2人で吉本新喜劇座員のオーディションに合格。
レッスンを受け始めましたが、2週目に岡団さんは辞めてしまいました。
その後は音信不通になっていましたが、4ヵ月後に短大時代の同級生の結婚式で再会。
『仕事がおもしろくない』
ともらした岡田さんを再び誘い、正式に松竹芸能タレント養成所に入所。最初に誘ってから3年目でした。
1993年1月にお笑いコンビ『ますだおかだ』を結成。増田さんは24歳、1歳年上の岡田さんは25歳でした。
同年2月の初舞台を踏み、1994年1月には、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、同年2月には第24回NHK上方漫才コンテスト最優秀新人賞も受賞。
結成2年目で数々の漫才賞を受賞し、同年8月には『GAHAHAキング』(テレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンを獲得するなど、一躍注目されました。
M-1グランプリには2001年の第1回大会から出場し決勝に進出。2002年の第2回大会で優勝を果たしました。
増田英彦の結婚歴や妻、子供
増田英彦さんが結婚したのは1997年10月、27歳 の時でした。
妻は大学の後輩の一般女性。
所属事務所の松竹芸能からは、
『芸人として一人前になるまでは結婚するな』
と言われていたため会社にも、相方の岡田さんにも結婚は知らせず、M-1グランプリ優勝後に結婚を発表しました。
子供は娘が2人で、長女が2004年3月、次女が2007年12月に誕生しています。