「きてます!きてます!」、「ハンドパワーです!」のフレーズで、90年代にブームとなったなジシャンのMr.マリックさん。
この記事ではMr.マリックさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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Mr.マリックの学歴
Mr.マリックの小学校
Mr.マリックさんの出身小学校は 岐阜市立長良東小学校
1949年1月1日生まれ、岐阜県岐阜市出身。本名は松尾 昭(まつお あきら)。
1月1日の誕生日は戸籍上で、実際に生まれたのは1948年12月29日だといいます。
『両親は「1月1日はおめでたい日だから」ということで、その日にしたかったんでしょう。』
誕生日が1月1日だったことから、両親もお年玉だけで、誕生日ケーキを用意してくれたことは一度もなかったそうで、事実を知ったのは中学生の時だったそうです。
父親は洋服の仕立て屋、1歳年上の姉と5歳年下の弟がいる3人姉弟の真ん中、母親が専業主婦でしたが仕事を手伝っていました。
小学生の頃は引っ込み思案で人前で何か出来るタイプではなく、授業参観日でも手をあげることができなくて親に怒られていたといいます。
Mr.マリックの中学校
Mr.マリックの出身中学校は 岐阜市立伊奈波中学校
同中学校は2012年に統廃合のために、閉校になっています。
中学時代には剣道部に所属していました。
中学生まではマジックのことは全く知りませんでしたが、中学2年生の時に名古屋から来た転校生に課外授業の時に河原で石を消すマジックを見せてもらい衝撃を受けたといいます。
『目の前ですごいことが起きたのでビックリして、魔法使いが突然現れたかのような気分でしたね』
転校生は父親が名古屋のマジックサークルに所属するプロ級のマジシャンで、父親に本格的にマジックを習い、自宅は手品グッズだらけだったといいます。
初めてマジックを見て以降、その転校生にマジックを教わるようになり、引っ込み事案な性格でしたがマジックを見せると友達が驚いて笑うのが心地よく、マジックに夢中になり剣道部には行かなくなったといいます。
Mr.マリックの高校
Mr.マリックさんの出身高校は 岐阜工業高校 (偏差値48~49)
岐阜県羽島郡笠松町常盤町にある男女共学の岐阜県立高校。
設置学科は機械科・工業化学科・電気科・紡織科・色染料・土木科・普通科の7科。
サッカーの強豪校で多くのプロサッカー選手を輩出し、ファッションデザイナーの山本寛斎さんも同高校の出身者です。
高校時代には毎週末にひとりで名古屋まで行き、デパートで手品の実演販売を見ていました。
当時は名鉄百貨店と名古屋松阪屋とオリエンタル中村百貨店(現三越)で手品の実演販売をしていて、その3ヵ所を開店から閉店まで廻っていたといます。
プロのマジシャンになりたいとの思いはありましたが、両親の希望から高校卒業後は、ガス器具メーカーのパロマ工業(現・パロマ)に就職しました。
Mr.マリックの経歴 手品用品の実演販売員として勤務
高校卒業後は就職しましたが、マジックの夢が捨てきれず、数多くのマジシャンのコンテストに出場、優勝も経験しました。
行き付けだったオリエンタル中村百貨店のテンヨー社製マジック用品売り場の実演販売員の人に、
『実は僕、辞めるからこのポジションが空くんだよ。あんたなら明日からでも出来るんじゃないの?』
と誘われ、「朝から晩までマジックができる!」と反対する両親を説得し半年でパロマを退職。手品の実演販売員になりました。
実演販売をこなすうちに本格的にプロのマジシャンになりたいと思うようなり、マジック用品会社に勤務しながら、マジックの全国大会で優勝。
ハワイで開催された世界大会に出場し、「クロースアップ部門」で日本人として初優勝。
しかし、ゲストで来ていた本場の一流マジシャンの美女が宙に浮くイリュージョンや、大がかりなトリックを見て衝撃を受け、「僕には無理だ」と一時がマジックから離れました。
3ヶ月なにもしないで過ごしましが、マジック以外にやりたいことがなく、東京の実演販売員に採用され上京。
実演販売員をしながら、手品グッズの専門も経営し「マリック」と名乗り活動も始めました。
マリックとして活動
マリックさんが経営して手品グッズ専門店にテレビ局の人が買いに来てたことがきっかけで、「新春かくし芸大会」でタレントに手品を教えるようようにり、少年隊に飛行場で軽飛行機を消すというイリュージョンをやってもらって評判になったといいます。
マリックさんは番組プロデューサーに「こういう番組を作って僕にやらせてもらえませんか」と企画しましたが「無名だからダメ」と言われたそうです。
それなら自分の名前でお客さんを集めようと、夜景の素敵な品川のラウンジを「ノーギャラでいいから」説得し、マジックをさせてもらいましたが、お客さんは夜景を見て手品は見ていませんでした。
仕方がないので、「目の前でマジックが見たい方は、テーブルまで行きますので声をかけてください」と言って引っ込むと声がかかり、目の前でマジックを見せるとお客さんから「きゃあ!」と悲鳴が上がり、これをきかっけで他の人のテーブルにも呼ばれるようになり、そのマジックは評判を呼びホテルチェーンと出演の契約を結び、全国のホテルでマジックを行いました。
超魔術ブームでブレイクとバッシング
ホテルでのマリックさんの評判を聞きつけた、日本テレビ『11PM』のプロデューサー来て、1988年39歳の時に同番組に出演。
マジックを見たプロデューサーの「これ、マジックだと言わずに黙ってやってたら、超能力に見えませんか?」との言葉から「超」という言葉と「魔術」を合わせた「超魔術」が誕生。
「ハンドパワー」はお客さんに「なにか手から出てるんじゃないですか、ハンドパワーですね」と言われたことがきっかけだったといいます。
『11PM』に出演すると反響となり、1989年にゴールデンタイムの『木曜スペシャル』が放送されると一躍時の人となりました。
しかし、「超魔術」「ハンドパワー」という言葉が「超能力」と信じられて、バッシングを受けるようになり、ストレスが原因で顔面麻痺になり、一時はテレビに出られなくなったそうです。
しばらくテレビから遠ざかりましたが、テリー伊藤さんの誘いで1990年半ば頃から、再びテレビに出演するようになったといいます。
Mr.マリックの結婚歴や妻、子供
マリックさんは1974年、24歳の時でした。妻はデパートに勤務していた女性。
『そこのおもちゃ売り場にいたのがカミさんです。なんて働く子だろう、飯も食わずにと思った。』
マリックさんが実演販売をしていたのはデパートのおもちゃ売り場で、そこで妻と出会い交際をスタート。妻の家に転がり込んで同棲生活をした後に結婚したそうです。
子供は息子と娘の2人。娘のるなさんは1980年5月24日生まれで、「LUNA」の名義でラッパー、歌手として活動しています。
息子は結婚し、2019年にが孫が3人いると話しています。
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