舞の海の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 舞の海 スポーツ

現役力士時代は小柄な体格ながら、多彩な技を繰り出し「技のデパート」と呼ばれた舞の海秀平さん。
最高位は小結でした。
この記事では舞の海さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

舞の海の学歴

舞の海の学歴

小学校  鰺ヶ沢町立舞戸小学校
中学校  鰺ヶ沢町立鰺ヶ沢第一中学校
高校   木造高校
大学   日本大学

舞の海の小学校

舞の海さんの出身小学校は 鰺ヶ沢町立舞戸小学校

1968年2月17日、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町生まれ。本名は長尾 秀平(ながお しゅうへい)。兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子。
実家は2階建ての一軒家で、1階では毛糸店を営み、編み物教室も開いていましたが、編み物の需要が減り、店は婦人服と毛糸を扱う店になり、最後は婦人服だけの店になりました。
父親は店を子供の継がようという気持ちはまったくなく、

『家のことはいいから、全国どこでも、世界中どこでも飛び立って、自分が一生懸命打ち込めるものをやりなさい』

と言っていたそうです。

生まれ育った鯵ヶ沢町は昔から相撲が盛んで、神社の境内や学校の校庭には土俵があったといい、小学1年生の時からまわしを付けて相撲大会に出場。
小学校の時も体は大きくはありませんでしたが、学校内で相撲が一番強く、校内の相撲大会では活躍していました。

舞の海の中学校

さん舞の海の出身中学校は 鰺ヶ沢町立鰺ヶ沢第一中学校

中学時代は相撲部の所属。
中学に入ると周りの生徒の体が大きくなるにつれ、全く勝てなくなり、「体が小さいと無理だ」と思い相撲部の退部を決意。
先生に伝えると理由も言わずに「とにかく続けろ」と言われ、やむなく稽古をを続けると中学3年生の時には青森県大会で優勝し、全国中学相撲選手権大会に出場。
ベスト8の成績を残しました。

舞の海の高校

舞の海さんの出身高校は 木造高校 (偏差値55)

青森県つがる市木造日向にある男女共学の県立高校。設置学科は総合学科。2003年までは普通科と商業科の2学科が設置されていました。
出身者には元力士の栃翼祐一さん、寶智山幸観さんなどがいます。

中学2年生の時に、木造高校高校相撲部の岩城徹監督に「うちで相撲をやらないか」と声をかけられました。
その後、3年生になると同級生たちは相撲の強豪校の鰺ヶ沢高校に勧誘されましたが、舞の海さんは60kgの小兵だったことから声がかからず傷ついていましたが、岩城監督は自宅まで訪ねて来て家族に勧誘の医師を伝えたことから、心が震えて木造高校に入学を決意しました。

高校時代の稽古は厳しく、熱が出ても「熱があるのは生きている証拠だよ」と言われ稽古を休むことは出来なかったといます。
その稽古の甲斐があり、高校3年生の時には、全国大会で個人戦準優勝の成績をおさめました。

舞の海の大学

舞の海さんの出身大学は 日本大学 経済学部(偏差値50)

東京都千代田区九段南四丁目に本部がある私立大学。経済学部のキャンパスは千代田区神田三崎町の神田三崎町キャンパス。

大学入学時は身長169cm、体重65kgで、130㎏の体格が当たり前の日大相撲部の部員を見て、厳しい現実を痛感しましたが、監督に、

『90kgになったらレギュラーで使ってやる』

との監督の言葉を信じ、脂っこいラーメンよりもあっさりしたそばが好きで、焼肉も嫌いという食の細いタイプでしたが、朝はどんぶり飯5杯、昼は学食の定食2人前、夜は再びどんぶり飯を5杯、寝る前には牛丼や弁当を食べ、シュークリームなども間食するなど必死に食べて、4年生の時にはとうとう90kgを突破。
大学時代には全日本相撲選手権大会ベスト32の成績を残しました。

大学在学中に社会科の高校教員採用試験にも合格し、山形県の高校教師に内定していましたが、相撲部の後輩が亡くなったことがきっかけで「人間ってあっけないんだな」と思い、

『自分もいつ死ぬか分からない好きなことをやろう』

とプロ入りを決意。

舞の海さんは身長169cmで、当時の新弟子検査の合格基準の身長「173cm」(現在は167cm)に届いてなく、1990年3月新弟子検査では力士が使う鬢付け(びんつけ)油を固めて頭髪で隠して受検しましたが不合格。
同年5月に頭部にシリコンを埋める手術を受けて新弟子検査を受け合格しました。
現在の合格基準はでは身長167cm、中学卒業見込みの者は165cmになり、シリコンは健康の悪影響の危惧から禁止になっています。

舞の海の経歴・最高位は小結

舞の海のプロフィール

名前   舞の海秀平
生年月日 1968年2月17日
出身   青森県西津軽郡鰺ヶ沢町
身長   171cm
血液型  B型
所属   舞の海カンパニー

出羽海部屋に入門後、大学時代に残した全日本相撲選手権大会ベスト32の実績が認められて幕下付出(60枚目)資格を取得。

1990年5月に初土俵を踏み、1991年3月に十両に昇進。
「猫騙し、「後退する立合い」や相手の周りを回る「くるくる舞の海」など彩な技で勝ち星を重ね、4年目の1994年9月に自己最高位の小結に昇進しました。
しかし、同場所の2日目に左腕の腱が切れ、2勝13敗と大きく負け越して、小結になったのはこの場所だけになりました。

1996年7月場所では体重差約200kgの小錦が左膝へ倒れ込み、左膝内側側副靭帯損傷の大怪我を負い休場。
1997年5月に幕内に復帰しましたが、その後も怪我に苦しみ、1999年11月場所を最後に31歳で引退しました。
引退後は日本相撲協会には残らずにタレントに転身。
NHK大相撲中継では専属解説を務め、フジテレビ系「FNNスーパーニュース」ではスポーツキャスターを担当。
講演活動の他、旅番組などにも出演しています。

舞の海の結婚や妻、子供

舞の海さんは1997年5月、29歳の時に結婚。
妻は6歳年上の元ホステスの女性で、離婚歴があり再婚で子供もいました。

舞の海さんが九州場所で訪れていた福岡で、妻が働いている店に行き出会いました。
舞の海さんは妻に一目惚れしアフターに誘いましたが、当時、6歳と4歳の子供がいたシングルマザーだったためこ断られ、子供を育てていることを知った舞の海さんはさらに好きになったそうです。

猛アタックで遠距離恋愛がスタートしましたが、子供が苦手だった舞の海さんは最初は子供たちと上手くコミュニケーションが取れませんでした。

『初めて会った犬と犬みたいでした』

その後、両親が結婚に反対したことに焦り、思い切って妻と子供たちを東京に呼び寄せ両国で同居生活を始めると、その覚悟をみた父親は結婚を了承。

1000人の招待客行われた結婚披露宴は、日本テレビで放送され、視聴率19.4%を獲得しました。

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