『夜のヒットスタジオ』などの司会を務め、「マエタケ」の愛称で親しまれたタレントの前田武彦さん。
バンザイ事件とは?
この記事では前田武彦さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。 、
前田武彦の学歴
前田武彦の小学校
前田武彦さんの出身小学校は 荏原郡東調布第二尋常小学校
東京府東京市芝(現在の東京都港区芝)生まれ、父親は会社の重役、兄弟は兄と姉、家庭は裕福でした。
入学した荏原郡東調布第二尋常小学校は、現在の大田区田園調布小学校。
出身者には俳優の石坂浩二さん、元プロ野球選手の長嶋一茂さんなどがいます。
前田武彦の中学校
さんの出身中学校は 旧制東京府立第四中学校
旧制東京府立第四中学校は、現在の戸山高校。
東京都新宿区戸山にある男女共学の都立高校。
偏差値は72。
出身者には経済アナリストの森永卓郎さん、俳優・演出家の長塚圭史さんなどがいます。
中学在学中の1943年に、志願して海軍予科練習生甲種14期生として入隊。
在籍中に、特攻兵器『蛟龍』の搭乗員として猛訓練を受けましたが、入隊から1年半後に終戦を迎えました。
前田武彦さんは訓練時のことのついて、
『(自分の受けた訓練は)優しさなんか一つも無かった。死んでいく人間に対して棒で殴ったりしていた』
と話しています。
前田武彦の高校
前田武彦さんの出身高校は 鎌倉アカデミア演技科
神奈川県鎌倉市にあった高等教育のための私立学校。
終戦直後の1946年に鎌倉在住の画家や演劇家らが設立され、資金難で1950年にわずか4年半で廃校なりましが、映画監督の鈴木清順さん、俳優の高松英郎さん、左幸子さんなど、映画・演劇界などに多くの人材を輩出しました。
前田武彦の大学
前田武彦さんの出身大学は 立教大学経済学部経営学科(偏差値62)
立教大学に入学しましたが、間もなく中退。
中退後は横浜の進駐軍に事務員、貿易会社などさまざまな職に就いた後、1953年、24歳の頃から同年に開局したNHKで、子供番組『はてな劇場』などの台本を書き始め、放送作家として活動を始めました。
前田武彦の経歴
24歳からNHKで放送作家として活動を始めると、NHKだけではなく、民放でも放送作家として活躍し、構成を手掛け、1961年から放送が開始された日本テレビの音楽バラエティ『シャボン玉ホリデー』は人気番組となり、前田武彦さん自身も出演。
以降はタレントとしての活動が本業となり、洋楽チャート番組『東芝ヒットパレード』(TBSラジオ)のパーソナリティを務め、1968年から放送された『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)では司会者を務とめ、「マエタケ」の愛称で呼ばれる人気司会者となりました。
テレビで自称「あだ名の名人」として共演者の芳村真理さんを始め、出演者やスタッフにあだ名をつけました。
歌手の菅原洋一さんは『3日前のハンバーグ』と名付けられ、ハンバーグと呼ばれるようになり、うつみ宮土理さんの『ケロンパ』も前田さんが名付けました。
1969年10月からは『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)で大橋巨泉さんと司会を務め、同年11月からはの演芸番組『笑点』(日本テレビ)の司会に就任、フリートークの天才と呼ばれ、名司会者の名をほしいままにしました。
前田武彦のバンザイ事件
1973年6月17日に司会を務めていた『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の番組終了直前に前田武彦さんは「バンザイ」をしました。
これは共産党立候補者が当選したとき、前田さんが番組「バンザイ」をすると前もって決めていたことでした。
そんなことをした理由は、数日前に前田さんは参議院議員補欠選挙に出馬していた共産党の立候補者の応援演説に立ち、
『私はこのあと東京に戻ります。月曜の夜はテレビの生放送です。それまでに選挙の結果がわかるでしょう。(略)首尾よく当選されたら、その生放送でバンザイします。皆さん見ててください』
とスピーチをしていて、それを実行したということでした。
共産党の当時の書記長と対談がきっかけで親しくなっていましたが、政治にかかわったという意識なく、共産党の人がみな親切だったことから、サービス精神で行ったといいます。
しかし、このバンザイはすぐに大騒ぎになり、週刊誌が「共産党候補者の応援演説を行い、当選したら生放送でバンザイすると約束して、そのとおり実行した」と報道。
この記事をきっかけに他の週刊誌も「マエタケのバンザイ事件」と書きたて、中には「共産党バンザイと叫んだ」と書いた記事もあったといいます。
前田さんは嘘はないから抗議も出来ないとしましたが、共産党員であることは否定。
しかし、この件をフジテレビは問題視し『夜のヒットスタジオ』司会は交代させられています。
その後、他の仕事にも影響し、前田さんはテレビ、ラジオの仕事のほとんどを失うことになりました。
1980年代になると徐々に仕事に復帰し、『朝のホットライン』(TBSテレビ)にお天気キャスターとして出演。
『お天気マン』と呼ばれました。
その後は、報道番組やワイドショーのコメンテーターとして多数出演、1987年からは情報番組『そこが知りたい』(TBS)の司会を担当しました。
『夜のヒットスタジオ』にも1988年2月の1000回特番に出演、1990年10月の最終回スペシャルにも歴代司会者と共に出演しました。
前田武彦の晩年と死因
1999年に70歳を迎え、2000年代に入るとあまりテレビには登場しなくなっていました。
2011年8月5日、、肺炎のため東京都内の病院で死去、82歳でした。
生前最後の仕事は、亡くなる1ヶ月前の7月16日のTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』へのゲスト出演。
テレビ出演の最後は、は2010年5月23日に放映されたフジテレビ『ボクらの時代』での大橋巨泉さんと小沢昭一さんの対談でした。