ハリウッド映画に出演し、拠点をアメリカに移していたこともある女優の工藤夕貴さん。
現在は田舎暮らしをしながら、農業もしています。
この記事では工藤夕貴さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
工藤夕貴の学歴
工藤夕貴の小学校
工藤夕貴さんの出身小学校は 八王子市立加住小学校
1971年、東京都八王子市生まれ。父親は歌手の井沢八郎さん。代表曲は『あゝ上野駅』、1965年と1966年には2年連続で紅白歌合戦に出場しています。
2歳年下の弟は元俳優で、1988年にの映画『ぼくらの七日間戦争』に出演し注目され、1990年4月にはドラマ『南くんの恋人』(TBS)では主演を務めましたが、1993年に引退しました。
父親はお酒を飲むと手を上げることもあったといい、小学3年生の時には母親が家を出て行き別居し、後に離婚。
工藤さんは父親と暮らし、お手伝いさんが面倒をみてくれましたが、悪いところばかりを指摘され、自己を否定する気持ちがすごく強くなったとい、小学生の頃の日記には「私はそこらへんに落ちている石よりも価値がない」などの言葉を書いていたといいます。
小学6年生だった12歳の時に渋谷でスカウトされ芸能界入り。
当時はモテたことも、かわいいと言われたこともなかったといい、父親は芸能人でしたが芸能界など全然考えたことはなかったそうです。
スカウトも「本当かな?」と思いましたが、後日、事務所に行き話しをしをすると受け答えなどを褒められたといい、嬉しくて芸能界入りを決めたといいます。
工藤夕貴の中学校
工藤夕貴さんの出身中学校は 八王子市立加住中学校
中学時代に音楽番組『ザ・ヒットステージ』(TBS)でデビューし、アイドル歌手を毒舌寸評する中学生として話題になり、その後、ハウスのインスタント麺「303」のCMに出演し、セーラー服姿で大きなヤカンを持ち、「お湯かけてお湯かけてお湯かけて~ 」と走り、「お湯をかける少女」として人気となりました。
1984年12月20日には『野生時代』で歌手デビュー。
デビュー後の数年は父親が歌手の井沢八郎であることが公表せすに活動していました。
1984年6月、中学1年生の時に映画『逆噴射家族』で映画デビュー、1985年の『眠る盃』(TBS)でドラマデビューしました。
工藤夕貴の高校
工藤夕貴さんの出身高校は 堀越高校 (偏差値38)
東京都中野区中央二丁目にある私立高校。芸能活動コースは現在のトレイトコース。
クラスメイトには西村知美さんがいました。
高校時代にはドラマを中心に出演し、1987年にはミュージカル『タッチ』で朝倉南 役を演じました。
17歳の時にアメリカ映画『ミステリー・トレイン』のオーディションを受け合格し、ハリウッドデビュー。
オーディションでは「私を出さないと後悔する!」と迫ったと明かしています。
映画は1989年12月に日本で公開されました。
1991年9月公開の映画『戦争と青春』では主演を務め、
日本アカデミー賞・優秀主演女優賞
ブルーリボン賞・主演女優賞
など複数の主演女優賞を受賞しました。
ハリウッドを拠点に活動
14歳の頃からオーディションで役を勝ち取れるハリウッドに憧れを持ち、英語の勉強を始め、17歳で『ミステリー・トレイン』に出演。
以降も1994年に『ピクチャーブライド』(アメリカ)、1997年に『ヘヴンズ・バーニング』(オーストラリア)になどの海外映画に出演しました。
『ピクチャーブライド』に出演した時はまだ通訳が必要で、通訳の人に意地悪され現場で支障をきたしたことから、その後は本気で英語を勉強し、『ヘヴンズ・バーニング』の時には通訳なして撮影に参加し「70%くらい大丈夫」だったといいます。
1998年、27歳の時に単身渡米し、1999年にはハリウッド映画『ヒマラヤ杉に降る雪』でイーサン・ホークと共に主演を務め、アカデミー賞の前哨戦の一つにも数えられる「ゴールデン・サテライト賞」の主演女優賞にノミネートされました。
その後は、ハリウッドに活動の拠点を移し、ドラマ、映画を中心に活動していましたが、2005年に父親の病気を機に帰国。以降は日本に活動の拠点を戻しました。
工藤夕貴の結婚歴歴や夫、子供
工藤夕貴さんの結婚歴は2度。
最初の結婚は24歳の時で、1995年に日系アメリカ人の会社員の男性と結婚しました。
ハワイでの撮影で男性がエキストラとして参加していたことで知り合ったといいます。
しかし、3年後に離婚。
再婚したのは2010年10月、39歳の時。夫は7歳年上の公務員で武道家の男生。
2007年に出演した映画『ラッシュアワー3』がきっかけでアクションを学ぼうと空手道場に通い始めたところ、師範が夫だったといいます。
2度の結婚とも子供はいません。
工藤夕貴の結婚歴や夫、子供
工藤夕貴さんは2006年に静岡県富士宮市に移住し、農業もしています。
アメリカ時代にインターネットで仕事をしながら、農場に住んで自分で育てた野菜を料理している女性と知り合ったことがきっかけだったといいます。
1反(約100平方メートル)の田んぼで米、、1500坪(約5000平方メートル)の畑で野菜を育て、地元メーカーと共同で日本酒も造っているとい、生活の中心は農業だと話しています。
富士宮市で「カフェ・ナチュレ」も経営し、育てた野菜や米を提供してしています。
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