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コウメ太夫の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 コウメ太夫

「チクショー!!」の決め台詞で知られ、アパートを経営もしている芸人・コウメ太夫さん。
高校時代から芸能界を目指し、大学時代も多くのオーディションに応募していました。
この記事ではコウメ太夫さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

コウメ太夫の経歴・プロフィール

コウメ太夫のプロフィール

名前   コウメ太夫
生年月日 1972年4月20日
出身   東京都
身長   176cm
血液型  O型
所属   SMA NEET Project

コウメ太夫の小学校 裕福な家庭に育つ

コウメ太夫さんの出身小学校は 不明

東京都杉並区出身。本名は赤井 貴(あかい たかし)。
父親は劇場の支配人なども務めた芸能プロデューサーの本間昭三郎さん、母親は元女優で東映ニューフェイス1期生の深見恵子さん。
母親は結婚後は女優を引退し、日本舞踊を教えていました。
実家は不動産経営もしており裕福な家庭に育ち、自宅には温泉があり、熱海に別荘もあったといいます。

小学校は杉並区の公立小学校に通っていたようですが学校名は不明。
小学1年生の時から4人の家庭教師がついていましたが、勉強は苦手でした。

7歳の時に父親は他界。
父親は芸能関係の仕事をしていたことから、葬儀には千昌夫さん、新沼謙治さん、畠山みどりさんなどが参列してくれたといいます。
幼少期には千昌夫さんの家に家族で遊びに行ったこともあったそうです。

コウメ太夫の中学校・高校 ジャニーズの応募

コウメ太夫さんの出身中学校は 自由の森学園中学校・自由の森学園高校

中学校は東京都杉並区本天沼3丁目にある杉並区立天沼中学校に入学。
ちょうどヤンキーが多かった時代で、自分は仲間とつるむヤンキータイプではなく、一匹狼のほうがカッコいいと思い学校には通わなくなったそうです。
そのうち、先生に「このままだと高校に行けない」と言われ、母親が自由の森学園中学校に転入させました。

『お袋が埼玉の飯能にある中高一貫の私立に転入させたんです。そこは東大に行くような優秀な人もいれば、僕みたいな人も受け入れてくれる学校で。』

埼玉県飯能市小岩井にある男女共学の私立学校。
自由の森学園は自立した自由へのはっきりした意志を育てることを、教育の基本としている学校で、定期テストなどを基本的に実施されていません。
出身者には俳優・ミュージシャンの星野源さん、浜野謙太さんなどがいます。

入学した頃から「芸能界に入りたい」と思うようになり、劇団の養成所に入団。
しかし、来た仕事は『中学生日記』のエキストラだけだったといいます。
高校時代に母子家庭だったこともあり「早く稼ぐには芸能界入んなきゃ!」と思い、雑誌「デビュー」を見て毎月応募。
ジャニーズ事務所にも応募し、半年経っても返事がなかったので、事務所に合否を確認しに行き怒られたそうです。

コウメ太夫の大学 オーディションを受けられなくなって中退

コウメ太夫さんの出身大学は 旭川大学 経済学部 (偏差値45)

北海道旭川市永山3条23丁目にある公立大学。
1898年に発足した旭川裁縫専門学校を起源とする学校で、1970年に旭川大学と改称。
私立大学でしたが、2023年4月に公立大学になり、校名は「旭川市立大学」に変更されました。

大学受験では関東近郊の大学も受験しましたが、全滅だったそうです。
大学時代には陸上部に所属していました。
大学在学中には「ミスター日本」に応募しましたが落選。
しかし、地元のテレビ局の取材を受け、ダンス審査を臨む姿がローカル局で放送されたそうです。
これを見た陸上部の先輩には「陸上やってるのに、何でミスター日本とか出てるんだ」と何故か怒られ、イジメのターゲットにされてしまったといいます。

『ぼく、旭川大学に3年いたんです。』

芸能界に入るためのオーディションを受けられたなくなったことから、大学は3生の時に中退しました。
大学時代もオーディション雑誌を見て毎月、多くの履歴書を送っていたそうです。

コウメ太夫の学歴

コウメ太夫の学歴

小学校  不明
中学校  自由の森学園中学校
高校   自由の森学園高校
大学   旭川大学

「エンタの神様」でブレイク

大学中退後は、いくつかの芸能事務所を転々とした後、1995年、22歳の時に梅沢富美男さんが主宰する劇団のオーディションに合格。
2年半ほど在籍し梅沢さんとも共演経験があるといいます。

退団後は、「お笑いが一番競争率が低い」と思い込みお笑い芸人に転身。
芸能プロデューサーだった父親のつてで、母親がマセキ芸能社の社長に話を付けてネタ見せ会の参加。
2000年からはコンビで活動していましたが解散。その後は相方を募集しましたが見つからず、ピン芸人として活動。

母親とは「35歳(2007年)までにお笑いで生活することが出来なかったら芸人は辞める」と約束し、その期限が近づいて追い詰められた頃に現在の「白塗り」のキャラを思いついたそうです。
白塗りは梅沢さんお女形に由来し、梅沢さんの許可も得ているそうです。

『「チャンチャカチャン」を教えました』

「チャンチャカチャン」は日舞を教えていた母親から教わったそうです。
2005年に『エンタの神様』(日本テレビ)のオーオーデションでプロデューサーの目に留まり、出演が決定。
「コウメ太夫」の芸名はこの時のプロデューサーが命名したました。
同番組に出演するとレギュラーの座を獲得しブレイク。
ブレイク時の最高月収は400万円だったといいます。

アパートを経営

ブームは去りましたが、ブレイクした時に貯めたお金でアパートを経営。

『たまたまマネージャーさんのご実家が不動産関係のお仕事をされてて、「アパート経営とかいいんじゃない?」って。』

2009年に西武池袋線の椎名町のアパートを5000万円で購入。
頭金3000万円を用意し、ローンは2000万円で約30年のローンで購入しました。
2022年にはアパートの家賃収入は35万円くらいで、ローンと管理費を引いても25万円残ると話しています。
購入時よりも地価が上昇し、資産価値は推定で8000万円になっているといいます。

結婚歴や妻、子供

コウメ太夫さんは2007年、35歳の時に、作家の泉美木蘭さんと結婚。
泉美さんはライターとして活動していましたが、結婚時は「元OLの一般女性」と発表されました。
結婚を発表した時には妊娠もしていることを明かし、同年に息子が誕生。
しかし、結婚2年目の2009年に離婚。
離婚後は親権の関係で息子としばらく離れていましたが、その後はコウメさんが引き取って暮らしています。

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