小峠英二の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕高校は留年

学歴 小峠英二 芸人

『なんて日だ』の決めセリフで知られるバイきんぐの小峠英二さん。
高校は留年して卒業しています。
この記事では小峠英二さんの学歴、経歴、生い立ち、学生時代のエピソードなどについて紹介しています。

小峠英二の学歴

小峠英二の学歴

小学校  大任町立大任小学校
中学校  大任町立大任中学校
高校   東鷹高校
大学   進学していません

小峠英二の小学校

小峠英二さんの出身小学校は 大任町立大任小学校

福岡県田川郡大任町生まれ。父親は配管工、母親は看護師、兄と弟がいる3人兄弟。
団地住まいで、両親が共働きのため鍵っ子で、自然や田んぼに囲まれた田舎町で育ちました。

小学生の頃は足が速く、運動会には積極的に参加していました。

10歳の時小学校でコックリさんが大流行し、真冬に窓を全開放されたといい、寒かったので小峠さんが窓を閉めると、クラスの女の子に『やめて、コックリさんが挟まる』と言われ、『挟まるかっ!』と言ったのが人生で初めてのツッコミだったといいます。

小峠英二の中学校

小峠英二さんの出身中学校は 大任町立大任中学校

中学時代は野球部に所属していましが、3年間補欠でした。
3年生の時、最後の夏の公式戦でチームの負けが決定したような試合で代打出場し、初の公式戦で震えながら打席に立つと、1級目で顔面デッドボールでした。
一塁ではリードして牽制球が来たので、スライディングで戻ると、デットボールで当たった方と反対側の顔にボールが当たったといいます。

パンク・ロックにもハマりギターを始め、家まで来て告白してくれた女の子がいましたが、『オレ、今ギターが恋人やから』と断ったそうです。
なぜかかっこつけて言ってしまったといい、後悔したと話しています。

小峠英二の高校

小峠英二さんの出身高校は 東鷹高校 (偏差値46~47)

福岡県田川市大字伊田にある男女共学の県立高校。
1918年創立の歴史のある学校で、設置学科は普通科と総合生活科があります。

高校時代にはパンクバンドを結成。
バンド名は小峠さんが『アンダー・ザ・チェーンドッグ』と名付け、自身は小峠ナターシャと名乗り、ギター兼ボーカルでした。

高校1年生の5月に学校をサボって城を見に行き停学になり、その後も禁止されていたバイク通学やアルバイトが見つかり停学になり、積み重なって退学になりかけたそうです。

高校2年生の夏休みに東京に行き、一緒に行った友達と『笑っていいとも』の素人参加コーナーに出演。一発芸をやるとそれが面白くて、すぐに芸人になりたいと思い、福岡に戻ると両親に『学校を辞める』と伝えました。

当選反対されましたが、最後には『やめるんじゃなくて休学だったらいい』と退学はせず休学で戻って復学できる状態ならと許可してくれたそうです。

その後、1人で大阪に行き半年ほど生活して、吉本の養成所のオーデションを受けましたが不合格になり、高校に戻り2年をもう一度やることになり留年しました。

高校3年生の夏休みに大分県の自動車教習所に合宿免許を取りに行き、相方になる西村瑞樹さんに出会いましたが、その時は一度も話すことはなく、お互いに存在を知っていた程度だったそうです。

翌年の2月にNSC大阪校の面接会場で、西村さんと再会。
お互いに顔を覚えていたので『あの時いたよね?』と、テンションが上がり、どちらからともなくコンビを結成する話になり、その時は連絡先は交換せず、4月1日の夜7時に大阪の戎橋の真ん中で待ち合わせをしてそこでコンビを組もうと約束。

しかし、当日、西村さんは現れませんでした。

その後、NSCの授業で2度目の再会をし、なんで来なかったのかを聞くと、実はNCSの面接で落ちて、たまたま父親の知り合いに吉本所属の演歌歌手がいて、その口利きで入学できたといい、その人に挨拶に行く日が4月1日の7時だったと話したといいます。

『まあ、ウソですよね。だって、時間くらい調整できるでしょ。』

小峠さんはウソだと思いましたが、お互いに誰ともコンビを組んでいなかったのでコンビを組むことになったそうです。

小峠英二の経歴

小峠英二のプロフィール

名前   小峠英二
生年月日 1976年6月6日
出身   福岡県田川郡大任町
身長   170cm
血液型  O型
所属   SMA NEET Project

1996年5月にコンビ『バイきんぐ』を結成。
コンビ名に由来はなく、気に入った言葉の候補は3つ上げ、先輩芸人の飛石連休・藤井ペイジさんに選んでもらい決定したました。

最初は全部カタカナの『バイキング』でしたが、ネット検索で食べ放題と間違われると思い、ひらがなを入れて『バイきんぐ』にしたそうです。

NSCで評価が低かったことから吉本興業には所属できず、フリーで数年活動した後、1999年に上京。

NSC時代の同期がワタナベエンターテイメントに所属していたことから、その紹介でネタ見せをして同年に所属。

テレビに出演することができましたが、服装などを事務所に注意され、当時のこだわりから1年で退社。

2000年には東京吉本に所属しましたが1年でやめ、その後、3年ほどフリーで活動し、ソニーがお笑い部門を立ち上げると聞き、2007年に所属。

『キングオブコント』に出場し2008年、2011年にセミファイナリストになり、2012年に優勝を果たし、小峠さんの『なんて日だ』の決め台詞が注目されブレイクしました。

2021年には『キングオブコント2021』で、バナナマン・さまぁ~ずに代わって、新審査員に就任しました。

2014年ににタレントの坂口杏里さんと交際し、半年ほどで破局したことが話題になりました。

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