古手川祐子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 古手川祐子 俳優

若い頃はアイドル的人気だった女優の古手川祐子さん。
ドラマ『幕末未来人』で女優として知られるようになりました。
この記事では古手川祐子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

古手川祐子の学歴

古手川祐子の学歴

小学校  不明
中学校  不明
高校   鶴崎工業高校
大学   進学していません

古手川祐子の小学校・中学校

古手川祐子さんの出身小学校、中学校は 不明

大分県大分市生まれ。父親はバスの運転手、3歳年下の妹は元女優の古手川伸子さん。
古手川伸子さんは文化女子大学短期大学部卒業後、音響メーカーで2年間OL生活した後、女優デビュー。ドラマを中心に活動し1995年に引退しています。

古手川祐子さんは幼少期は外で走り回って遊ぶのが好きなおてんばでした。

古手川祐子の高校

古手川祐子さんの出身高校は 鶴崎工業高校 産業デザイン科(偏差値47)

大分県大分市大字葛木にある男女共学の県立高校。
設置学科は機械科、電気科、建築科、化学工学科、産業デザイン科。
野球部、サッカー部は強豪でプロ野球選手、プロサッカー選手を輩出しています。
共学ですが1000人のうち女子は70人だけだったといいます。
高校時代には授業でタンスや椅子を作ってました。

アイドル歌手に憧れ、『スター誕生』に何度も応募しましたが受かることはありませんでした。

1976年8月、17歳の時に東宝とカネボウ化粧品の共催で開催された、三浦友和さんの相手役を選ぶ『ミス・サラダガール・コンテスト』に応募し、1位となり、東宝芸能へ入社。
カネボウのCMに出演し、芸能界デビューしました。
同コンテストの2位は名取裕子さんでした。

何度も落ちていた『スター誕生』には同コンテストに入賞した後に、書類選考を通過したといいます。

古手川祐子の経歴

古手川祐子のプロフィール

名前   古手川祐子
生年月日 1959年7月16日
出身   大分県大分市
身長   158cm
血液型  B型
所属   コニイ

1976年8月にカネボウのCMで三浦友和さんと共演し、『ミス・サラダガール』のキャッチフレーズで人気を獲得。
『サラダ』はCMとは関係ありませんが、「サラダのように新鮮」という意味だったといいます。

同年10月公開の映画『星と嵐』の端役で女優デビューし、同年12月の『恋の空中ぶらんこ』で林寛子さんの妹役を演じ、本格的に映画デビューしました。

翌年の1977年NHKドラマ『幕末未来人』でドラマデビューし、女優としての知名度を獲得。

1979年からはカネボウ化粧品のCMキャラクターを務め、1995年まで17年にわたり出演。
はごろもフーズのイメージキャラクターも長年務めました。

1985年には映画『春の鐘』で主演、1989年には主演映画『花の降る午後』で、

第13回日本アカデミー賞・主演女優賞

を受賞しました。
その後はドラマを中心に映画、舞台にも出演。

2016年2月に舞台で喜劇に初挑戦し、その後は公の場には登場していませんが、女性誌が事務所に取材したところ引退したわけではなく、『女優活動は今後も続けていきます』とコメントしています。

古手川祐子の夫や子供

古手川祐子さんが結婚した1986年6月、26歳の時でした。
夫は8歳年上で俳優の田中健さん、
馴れ初めは、1980年9月から放送された『夜の傾斜』(テレビ朝日)での共演でした。

間もなく交際がスタートし、交際期間5年で結婚。
翌年の1997年10月には、娘の綾那さんが誕生しました。
しかし、結婚13年目の1999年7月に離婚

結婚後は田中さんが古手川家の婿養子に入り、自室は1つもらいましたが、新居のマンションは古手川さん主導で決めたといい、その後、古手川さんの両親と同居。マスコミには『マスオ』と呼ばれました。

古手川さんの父親に田中さんが怒鳴られ、義父との不仲が報じられ、後に田中さんは、

『客観的に見れば、そういうこと(不仲)はあったかもしれないし、歯車が噛み合わなかった』

と義父との確執を認めました。

1994年に田中さんが家を出て別居を始め、5年の別居期間を経て離婚。

娘は離婚時、11歳で離婚後の親権は古手川さんが持ちました。

娘の綾那さんは女優デビューし、2009年にドラマ『ゴッドハンド輝』(TBS)に出演、ドラマ、舞台を中心に活動し、2019年からはYouTubeチャンネル「モナリ THE チャンネル」を開設し、ゲーム実況をしています

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