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小松政夫の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 小松政夫

伊東四朗さんとのコンビで「電線音頭」「しらけ鳥音頭」などがヒットしたコメディアンの小松政夫さん。
若い頃は植木等さんの付き人兼運転手を務めていました。
この記事では小松政夫さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

小松政夫の学歴

小松政夫の学歴

小学校  福岡市立草ヶ江小学校
中学校  福岡市立博多第二中学校
高校   福岡高校
大学   進学していません

小松政夫の小学校時代

小松政夫さんの出身小学校は 福岡市立草ヶ江小学校

1942年1月10日生まれ、福岡県福岡市瓦町(現・博多区上川端町)出身。本名は松崎 雅臣(まつざき まさおみ)。7人兄弟の5番目。
実家は博多の繁華街で菓子店を経営していました。
父親は生粋の九州男児で元料理学校の教師でしたが、実業家に転身。食事の好き嫌いなどには厳く、嫌いなニンジンなどをはじけば、叩かれたそうです。

小学校は福岡県福岡市中央区草香江二丁目にある草ヶ江小学校を卒業。
小学生の頃は「がまの油売り」「バナナの叩き売り」などの香具師の口上を覚えては、友達の前で披露するような子供で、将来は役者になりたいと思っていました。

小松政夫の中学校時代

小松政夫さんの出身中学校は 福岡市立博多第二中学校

福岡県福岡市博多区いあった公立中学校で、1983年に博多第一中学校と統合され、博多中学校が開校しました。
中学1年生の13歳の時に父親が結核で他界。
父親が亡くなった後に、母親も知らなかった借金があることが分かり、菓子店は残りましたが生活は一変したといいます。
自宅は人でに渡り、4畳半と6畳のアパートで家族7人が生活しました。

小松政夫の高校時代

小松政夫さんの出身高校は 福岡高校 (偏差値72)

福岡県福岡市博多区堅粕一丁目にある男女共学の県立高校。
出身者には脚本家の判一彦さん、漫画家の倉田真由美さんなどがいます。
生活を助けるために通ったのは定時制課程で、夜間に高校に通いながら、昼間は亡き父親が懇意にしていた老舗和菓子店「石村萬盛堂」で働いていました。

高校時代は剣道部に所属。文化祭では「かぐや姫が実はシンデレラだった」という創作劇を上演。
高校3年生の時には生徒会長を務め、高校卒業後は役者を目指して上京しました。

高校卒業を控えた時には「石村萬盛堂」から社員への登用の話しをもらいましたが、役者の夢のため断り、店の社長のお母さんに「東京で役者になるので前借りできませんか」と頼むと、

『そういうのは前借りじゃなくてお餞別というのよ』

と100円札で1万円分渡してくれたといいます。当時はラーメンが1杯30円の時代でした。

小松政夫の経歴 植木等の運転手

小松政夫のプロフィール

名前   小松政夫
生年月日 1942年1月10日
没年月日 2020年12月7日(78歳没)
出身   福岡県福岡市博多区
身長   165cm
血液型  A型
所属   ドン・タック

上京後は横浜に住む兄のもとに身をよせ、いくつかの劇団を受験し俳優座も合格しましたが、入学金が4000円で月謝もかかったことから断念。
その後、さまざまなアルバイトを経験した後、横浜トヨペットに就職。
横浜トヨペットではトップセールスマンで、会社員の月給が1万4000円の時代に12万円を稼ぐこともあったといいます。
ある日、週刊誌で「植木等の付き人募集」の広告を見つけ応募。

『ハタチそこそこでしたが、英国製のスーツに髪もセットしていたから、キチンとしていると思われたのでしょう。あと車の運転ができたことでしょうね』

約600人の応募の中から合格し、1964年1月から植木さんの付き人兼運転手となりました。
その後、元々役者志望だったことを知った植木さんやクレーキャッツのメンバーの助けがあり芸能界入りしました。

伊東四朗とのコンビで活躍

付き人時代に『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)でデビュー。
当時の『シャボン玉ホリデー』には俳優の松崎真さんがレギュラーで出演しており、植木さんが「松崎ー!」と呼ぶと、本名が松崎の小松さも返事をしてことが多かったため、「小さいほうの松崎」という意味で「小松」と呼ばれるようになり、やがてメンバーやスタッフの間で定着。
前座や端役などで出演が増えて視聴者にも顔を覚えられるようになったことから植木さんに正式に芸名を「小松政夫」と命名されました。
付き人を4年間務めたある日、植木さんに、

『お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな』

と唐突に言われて独り立ち。
1970年代には、正式なコンビではありませんでしたが、伊東四朗さんと人気コント番組でコンビを組み、「小松の親分さん」「電線音頭」やギャグなどで一時代を築きました。

結婚や妻、子供

1976年、34歳の時に、一般女性の朋子さんと結婚。

『新宿にある「どん底」という居酒屋に友達と行ったときに、声をかけられて知り合いました』

小松さんが一目惚れして交際に発展したといいます。

妻の朋子さんは結婚してから小松さんが遊びまわる人だとわかり、浮気が発覚した時には酔っ払った小松さんを蹴飛ばしたと話しいます。
あまりに遊びまわるのである時ピシャリと言うと、小松さんはまさに九州男児で「女は引っ込んでろ」というタイプでいしたが、いつの間にか立場が逆転していたそうです。
子供は息子が1人で、1979年に誕生しました。

死因と晩年

2019年11月の健康診断で肝細胞がんが発覚。 その後は、抗がん剤治療を受けながらも仕事を続け、入退院を繰り返しました。
2020年6月には人生初の物損事故を起こし、8月に運転免許を自主返納。
2020年11月14日に容態悪化のため再入院。12月7日午前6時51分、細胞がんのため78歳で死去。
遺作は2020年8月から放送された三田佳子主演ドラマ『すぐ死ぬんだから』(NHK BSプレミアム)でした。

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