小日向文世の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 小日向文世 俳優

ドラマ『HERO』でブレイクし、売れっ子の名バイプレーヤーとして活躍する俳優の小日向文世さん。
ブレイクした時は47歳の時でした。
この記事では俳優の小日向文世さんの学歴、経歴、生い立ちや、俳優になったきっかけ、結婚や妻、国府どもなどについて紹介します。

小日向文世の経歴

小日向文世のプロフィール

名前   小日向文世
生年月日 1954年1月23日
出身   北海道三笠市
身長   164cm
血液型  O型
所属   ファザーズコーポレーション

小日向文世の小学校

小日向文世さんの出身小学校は 三笠市立三笠小学校

北海道三笠市出身。兄と姉がいる末っ子。
名前の『文世』は『文章で世のためになる』ということが由来で、兄と姉も名前に『世』がつくように命名したそうです。

小学2年生の時の学芸会で、『こぶとり爺さん』の悪いお爺さんを演じ、最後に両頬にコブをつけて、舞台を降りる時が妙に気持ちよかったといい、舞台が終わって拍手を貰った経験は、鮮明に覚えてるといいます。
絵を描くことも好きで、絵画教室に通ってました。

小日向文世の中学校

小日向文世さんの出身中学校は 三笠市立三笠中学校

三笠市内の公立中学校です。
中学時代はは卓球部に所属していました。
家では俳優を詠んだりしていたといいます。

小日向文世の高校

小日向文世さんの出身高校は 北海道三笠高校 (偏差値45)

北海道三笠市若草町にある男女共学の三笠市立高校。
1945年に道立高校として開校し、2012年3月に閉校になりましたが、同年4月に三笠市立高校として開校しました。
出身者は声優、ナレーターのキートン山田さんなどがいます。

高校時代は美術部に所属し、道展に1度入選。
高校卒業後は、美術大学に進学したと思っていましたが、麻雀を覚えてハマってしまい、成績は急降下し担任の先生には、

『おまえが入れる大学なんてどこにもない』

とハッキリ言われたそうです。

小日向文世の専門学校 怪我がきっかけで役者の道へ

小日向文世さんの出身専門学校は 東京写真専門学校

美大の進学を断念し、高校卒業後はグラフィックデザイナーを目指して、東京・御茶ノ水のデザイン専門学校に入学。

しかし、最初の年の冬休みに尾瀬のスキー場で複雑骨折、8回の手術をする大怪我で、手術、入院、リハビリで約2年間何も出来ず、すごくつらかったことから、退院後もデザインを1年生からやりなおす気にはなれず、

『こんなに苦労したんだから、これからは好きなことだけやろう』

と東京写真専門学校にに入学。
東京都千代田区四番町にある専門学校で、現在の専門学校東京ビジュアルアーツ。

入学後に、自分の進む道はどうも写真じゃないと思うようになり、作品を作るより、自分が作品になりたいと役者の道に進みました。

小日向文世の学歴

小日向文世の学歴

小学校   三笠市立三笠小学校
中学校   三笠市立三笠中学校
高校    北海道三笠高校
大学    進学していません
専門学校  東京写真専門学校

47歳でブレイク

22歳の時、役者を目指し文学座研究所の入所試験を受けましたが、一次試験で不合格。
翌年も受けようと思っていましたがアルバイト先の先輩から、「文学座の中村雅俊さんがコンサートのスタッフを探している」 と教えてもらい、来年の再受験に有利になるかもとの思惑もあり、スタッフとして参加。
当初はステージのスタッフとして機材運びや、演出の手伝いをしていましたが、いつの間にか中村雅俊さんの付き人になり撮影現場に同行するようになったといいます。

数年後に小日向さんは中村さんを自分の主演舞台に招待し、舞台を観た中村さんは「もう俺、緊張しちゃってさ。せりふ大丈夫かとか、すごい思って。」と観てる方が緊張したと話しています
終演後、2人で喫茶店で話し、中村さんは

『俺はおまえに仕事回すことできるよ。おまえ、それ嫌だろ。自分ではい上がってこい』

と励まし、小日向さんは、 『頑張ります』 と答えたといいます。

1977年、串田和美さんが主宰の『オンシアター自由劇場』のオーディションに合格し入団。
入団後、いい役が付いたのは5年目で、バーや喫茶店でアルバイトをしながら続けていました。

座長の串田和美さんがシアターコクーン初代芸術監督になり、公演の稽古が始まるたびにアルバイトを辞めなければいけない団員のために、定期的に出演できる舞台を提供いしてくれたことで、1989年、35歳の頃にはアルバイトをしないで食べていけるようになったそうです。
劇団には、1996年の解散まで19年間在籍しました。

解散後、安定して仕事が入ることはなく収入は減り、1ヶ月程度は俳優の仕事がないことはざらだったといいます。

転機となったの2001年で、三谷幸喜演出の舞台『オケピ!』にとぼけたピアニスト役で出演、それを観たフジテレビのプロデューサーにドラマ『HERO』にメインキャストの1人として起用され、ドラマは全話視聴率30%超えを記録する大ヒットとなり、小日向さんもブレイク。
当時、47歳でした。
以降は途切れることなく、仕事が入るようになりました。

結婚や妻、子供

1993年に劇団『自由劇団』の後輩で11歳年下の女優と39歳の時に結婚。

子供は息子が2人で長男の星一さんが1995年月、次男の春平さんが1998年4月に誕生してました。
長男が生まれた翌年に劇団が解散し、収入が激減。ドラマ、映画での活動を希望していましたが端役が多く、事務所にに給料の前借をして食いつないでいました。

小日向文世の息子は俳優

2人の息子は小日向さんと同じ事務所・ファザーズコーポレーションに所属する俳優です。

長男の星一さんとは2018年に、いゞ自動車「エルフ」のCMで親子共演を果たし、2021年の大河ドラマ『青天を衝け』では星一さんと春平さんが実の兄弟役で共演しています。

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