「踊る大捜査線シリーズの署長役で知られる、俳優の北村総一朗さん。
下積みは長く40歳までは風呂なしアパートに住んでいました。
この記事では俳優の北村総一朗さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。
北村総一朗の学歴
北村総一朗の小学校、中学校
北村総一朗さんの出身小学校、中学校は 不明
高知県高知市出身、父親は自動車関連の仕事、兄と姉がいる3人兄弟。
父親は戦前は中国で仕事をしていたため、幼少期は中国の天津で生活していしたが、開戦の1年前に帰国。
終戦直前の1945年7月、9歳の時にに高知県で空襲を経験、実家は高台にあったことで被害は免れましたが、防空壕から出て市内をみると、夜なのに一帯が明るくなっていて、焼夷弾のせいで街中が燃えていましたが、まだ子供だった北村総一朗さんは一瞬、「綺麗だな」と思ってしまったと話しています。
中学生の時に両親は離婚、母親は姉を連れて家をでました。
母親がいない家庭環境が嫌で、家に帰りたくない一心で、中学で演劇部を創設しています。
北村総一朗の高校
北村総一朗さんの出身高校は 土佐高校(偏差値69)
高知市塩屋崎町にる男女共学の私立高校。
出身者には漫画家の黒鉄ヒロシさん、作家の倉田由美子さんなどがいます。
高校時代も演劇部に所属。
高校時代の夏休みに友達と東京に遊びに行った時に、たまたま観た劇団民藝の舞台『セールスマンの死』が面白かったことと、演劇部でコンクールに入賞したとこから役者の道を志すようになりました。
北村総一朗の大学
北村総一朗さんの出身大学は 高知大学農学部(偏差値50)
高知県高知市曙町の本部がある国立大学。
農学部を選んだはの就職率がよかったからで、林業を専攻しました。
大学時代は演劇研究会に所属、家庭教師のアルバイトなどでで学費稼ぎながら、放送局の放送劇団にも入り、放送劇も書いていました。
大学卒業後は、俳優を目指して上京しました。
北村総一朗の経歴・生い立ち
24歳の時に上京し、1961年に文学座に研究生として入所。
同期には橋爪功さん、寺田農さん、希木希林さんなどがいました。
土佐弁のハンディは大きく、アクセント辞典はいつもばんに入れていたそうです。
シェイクスピア原作『ジュリアス・シーザー』の市民役で初舞台を踏み、その後、劇団雲を経て、1975年に劇団昴に所属。
なかなか芽が出ず、40歳頃まで風呂なしのアパートに住み、6畳一間に友達と一緒に住んだこともあったといいます。
ただ、まわりもみんなそうで貧乏は当たり前だったので、全然に気にはならなかったそうです。
50歳の時に22歳年下で同じ劇団の女優・磯辺万沙子さんと結婚。
急性肝炎で急に入院し、頼んで自宅から下着やタオルを持ってきてもらい、家の猫の世話もしてもらったことがきっかけで、交際に発展し、交際期間3ヶ月で結婚しました。
子供はいないようです。
1997年1月から放送された『踊る大捜査線』での神田総一朗署長役で一躍人気役者となり、ブレイク。
共演した刑事課長役の斉藤暁さんと副署長役の小野武彦さんの3人で中間管理職トリオ「スリーアミーゴス」と呼ばれた。
当時、61歳でした。
その後は多くのドラマで活躍し、2022年1月のインタビューでは所属する劇団で、60歳以上も離れた若手の劇団員たちと作品を作っていると話しています。
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