岸田今日子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕舞台美術家志望だった

学歴 岸田今日子 俳優

個性派女優で、アニメ「ムーミン」の声優を務めたことで知られる岸田今日子さん。

元々は女優志望ではなく、舞台美術家を目指していました。

この記事では女優の岸田今日子さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。

岸田今日子の学歴

岸田今日子の学歴

小学校  立教高等女学校付属尋常小学校
中学校  立教高等女学校
高校   自由学園女子部高等科
大学   進学していましせん

岸田今日子の小学校

岸田今日子さんの出身小学校は 立教高等女学校付属尋常小学校

東京府豊多摩郡(現・東京都杉並区)出身、父親は劇作家の岸田國士さん。

1歳年上の姉は詩人で翻訳家の岸田吟子さん。

入学した立教高等女学校付属尋常小学校は、現在の立教女学院小学校。

東京都杉並区久我山にある私立小学校です。

姉の吟子さんも同小学校の入学しています。

子供の頃は人見知りで内気な性格で、小学校では算数の割り算が苦手でした。

岸田今日子の中学校

岸田今日子さんの出身中学校は 立教高等女学校(偏差値66)

中学1年生の時に母親が他界、その後は姉妹2人だけで長野県松本市に疎開。

疎開先は農家で、学校は県立飯田高等女学校に転校。

長野県飯田市上郷黒田にある、現在の飯田風越高校で、現在の偏差値は51~55。

卒業後、1946年に東京に戻りました。

岸田今日子の高校

岸田今日子さんの出身高校は 自由学園女子部高等科(偏差値49)

東京都東久留米市学園町にある私立学校。

高校時代に、彫刻家の本郷新さんが担当した美術の講義に触発され、舞台美術の興味を持ち、1949年、高校卒業と同時に、舞台美術を学ぶため、文学座付属演劇研究所の試験を受け、裏方として文学座付属演技研究所に入り研修生となりました。

岸田今日子の経歴・生い立ち

岸田今日子のプロフィール

名前   岸田今日子
生年月日 1930年4月29日
没年月日 2006年12月17日(76歳没)
出身   東京府豊多摩郡(現・東京都杉並区)
身長   156cm
血液型  A型

文学座の創設者のひとりだった父親は岸田今日子さんに俳優になることには反対で、学びたいのは舞台美術で俳優になる意志はないということから入所を許可。

しかし、入所翌年の1951年に度だけの約束で舞台『キティ台風』で初舞台を踏むと、卒業後も演技の魅力が忘れられずに俳優になることを決意。

最初は俳優になることに反対していた父親でしたが、フランス語と身につけ、その後フランスのルイ・ジューヴェ劇団に入れるように手配することを約束してくれたといいます。

フランス語を学び、フランスに行こうとした矢先、1954年に突然の病で父親は他界。

フランス行きは頓挫しました。

1952年に文学座に正式に入団、同年に舞台『狐憑』で座員としての初舞台を踏み、その後も多くの舞台に出演。

1953年に『にごりえ』で映画デビュー。

1954年には俳優の仲谷昇さんと結婚。

仲谷昇さんは文学座の1期後輩、年齢は1歳年上。

1968年には長女のまゆさんが誕生し「新劇界のおしどり夫婦」と呼ばれましたが、徐々に価値観のずれが大きくなり、結婚24年目の1978年に離婚しています。

1960年には舞台『サロメ』で主役に抜擢され、1962年には『冷えた茶』(TBS)でドラマデビュー。

同年に映画『破戒』『秋刀魚の味』の演技で、

第13回ブルーリボン賞・助演女優賞

を受賞、同賞は1996年にも映画『学校の怪談2』『八つ墓村』でも受賞しています。

独特の声から、1969年からのアニメ『ムーミン』に声優として出演しました。

岸田今日子の晩年と死因

1976年に映画『犬神家の一族』に琴の師匠役で出演し、同映画の2006年版でも同じ役でキャスティングされていましたが、体調不良で降板。

2006年12月17日に、脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で76歳で亡くなりました。

遺作は同年1月に放送されたドラマ『法医学教室の事件ファイル22』(テレビ朝日)。

2005年までは精力的に活動しており、2本のドラマに出演し、3本の出演映画が公開されて居ました。

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