サイトアイコン 学歴・経歴report

木南晴夏の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 木南晴夏

大阪府出身で芸能界きっての「パン好き」としても知られる女優の木南晴夏さん。
この記事では木南晴夏さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

木南晴夏の学歴

木南晴夏の学歴

小学校  不明
中学校  不明
高校   雲雀丘学園高校
大学   国学院大学

木南晴夏の小学校・中学校時代

木南晴夏さんの出身小学校・中学校は 不明

1985年8月9日生まれ、大阪府豊中市出身。兄と姉がいる次女。
父親は会社員、母親はパン工場に勤務、4歳年上の姉は舞台女優の木南清香さん。
小学校、中学は豊中市内の公立学校のようですが学校名は不明。
母親は調理師免許を持つ料理上手、母親がいない土日は父親が料理を作ってくれましたが、焼きそばかチャーハンかステーキしか作れない人でだったといいます。

幼少期に天海祐希がオスカル役をつとめていた『ベルサイユのばら』を見て宝塚歌劇団のファンになって舞台に通い、『ベルサイユのばら』ごっこをしていました。
幼稚園の時に通い始めたミュージカルスクールで出会った相武紗季さんとは幼なじみです。

小学生の時はバスケットボール部に入りましたが、ボールが怖くてすぐに退部。
運動会の徒競走はいつもビリで、運動神経はよくなかったといいます。
習い事はバレエ、バイオリン、ピアノ、水泳、学習塾、習字と「週7日」で習い事をしていて忙しい小学生だったそうです。

『でもやっぱり宝塚も、狭き門じゃないですか。もうだいたい中学生くらいになると、自分の力量わわかるんで、私はバレエもうまくない、歌もうまくない、華もない。もう無理だって思ってて、「記念受験しようかな」くらい感じ』

小学生の時から夢は「女優さん」で、宝塚スターを夢見ていましたが、中学生の頃には宝塚に入ることはほとんど諦めていたといいます。

木南晴夏の高校時代

木南晴夏さんの出身高校は 雲雀丘学園高校 (偏差値65)

兵庫県宝塚市雲雀丘4丁目にある男女共学の私立高校。
出身者には女優の紺野まひるさん、アナウンサーの岩本乃蒼さん。
相武紗季さんとは高校の同級生でした。
高校1年生の時に「夏の高校野球PR女子高生」に応募し選出。
同年に「第1回ホリプロNEW STAR AUDITION~21世紀のリカちゃんはあなた!!~」でもグランプリを獲得し、両親には反対されましたが押し切って、高校1年生の時に上京。
高校は都内の高校に転校して卒業しましたが学校名は不明。
2002年、高校2年生の時にテレビ朝日が毎年選出していた「テレ朝エンジェルアイ」にMEGUMIさんらと選ばれ注目され、同年から2003年にかけては酒井彩名さん、あびる優さんとアイドルユニットLiccaとして活動。
2004年1月から放送されたドラマ『桜咲くまで』(毎日放送)で女優デビューしました。

木南晴夏の大学時代

木南晴夏さんの出身大学は 国学院大学 文学部(偏差値60)

東京都渋谷区東4丁目に本部がある私立大学。
出身者には俳優の池田鉄洋さん、賀集利樹さんなどがいます。
2004年4月に入学しました。
同年から2005年にかけてバラエティー番組『不幸の法則』(日本テレビ)の再現ドラマで演じた幸子役で顔が浸透しました。
2005年3月公開の『ZOO』で映画デビュー。
同年10月からは連続テレビ小説『風のハルカ』に出演しました。
2008年4月に大学は卒業ました。

木南晴夏の経歴

木南晴夏のプロフィール

名前   木南晴夏
生年月日 1985年8月9日
出身   大阪府
身長   162cm
血液型  A型
所属   ホリプロ

2009年1月公開の映画『20世紀少年』でヒロインの友達・小泉響子役をに抜擢。
監督や原作者にも「原作漫画のキャラクターに瓜二つだ」と評価され一躍注目されました。
2012年1月から放送されたドラマ『家族八景 Nanase,Telepathy Girl’s Ballad』(毎日放送)で連続ドラマ初主演。
2013年5月に公開された映画『百年の時計』で映画初主演を果たしました。

結婚や妻、子供

木南晴夏さんは2018年6月、32歳の時、6歳年上の俳優の玉木宏さんと結婚。
2010年に共通の友人を通じて出会い、その後友人関係になり、2017年4月15日、16日に放送されがドラマ『女の勲章』(フジテレビ)で共演したことがきかっけで交際がスタート。
約1年間の交際を経て結婚しました。
子供は2020年7月に弟1子が誕生しました。

パン好きになったきっかけ

木南晴なるさんが「パン好き」になったのは母親がパン工場で働いたことが大きかったといい、母親について行って、焼きたてのパンを工場のおじさんに分けてもらったり、家にはいつもパンがあり、朝食はパンでおやつもパンだったといい、パンは身近で自然と好きになったそうです。

本格的に「パン愛」生まれたのは上京してからで、上京後、好きなパン屋さんを調べて、そこのパンを食べた感想をノートにメモするようになったといい、ある時、マネージャーに、

『パンや食べることへの情熱は特別なものだから、それを形にしたらいいんじゃない?』

とアドバイスされ、そこから、パンシェルジュや食生活アドバイザーの資格取得し、雑誌でのにパンの連載を始めることにもつながったといいます。
以前は自分でもパンを作っていたようですが、2023年には「お店の方がおいいしいので作る事は辞めました」と話しています。

モバイルバージョンを終了