元バレーボール女子日本代表で、高校生の時から代表に招集されアイドル的に人気を集めた木村沙織さん。
この記事では木村沙織さんの学歴、経歴、生い立ち、現役時代の活躍、夫、子供などについて紹介しています。
Contents
木村沙織の経歴・プロフィール
木村沙織の小学校
木村沙織さんの出身小学校は あきる野市立多西小学校
埼玉県八潮市で生まれましたが、その後、父親の仕事の関係で東京、大阪を転々とした後、東京都あきる野市に通いました。
2人姉妹の姉で5歳年下の妹の木村美里さんも元バレーボール選手でポジションはリベロ。
2010年アジア競技大会日本代表にも選出されました。
両親が元バレーボールをしていて、母親はママさんバレーをしていた影響で、小学校2年生の時にあきる野市のバレーボールチーム「秋川jvc」に入団しバレーボールを始めました。
習いことはピアノ、英会話、習字などもしたことがありましたがどれも続かず、バレーボールだけはずっと続いたそうです。
ポジションは主にレフトを務め、小学6年生の時には東京新聞杯で優勝しました。
木村沙織の中学校 全国大会で優勝
木村沙織さんの出身中学校は 成徳学園中学校
東京都世田谷区代田六丁目にあった私立の女子校。
2003年に閉校になっています。
バレーボールのの名門ででスカウトされて入学しました。
同中学校で大山加奈さんなどと出会っています。
中学校人学時の身長は163cmでしたが3年間で15cm伸び、178cmにまでなっています。
主力選手として活躍し、全日本中学校バレーボール選手権で優勝しました。
木村沙織の高校 17歳で日本代表
木村沙織さんの出身高校は 成徳学園高校 (偏差値50~57)
高校は中学校の系列の成徳学園高校に進学。
2003年の中学校の閉校後に下北沢成徳高校に改称されています。
2003年、高校2年生の時にはライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝し、同高校の2連覇に貢献しました。
同年に17歳で日本代表の強化合宿に召集、9月にはアジアカップに出場。11月には故障した鈴木洋美選手のの代役としてワールドカップに出場しました。
2004年春高バレーには大会3連覇を目指して出場した決勝では、第1セットで味方選手と接触して右足首を捻挫。
応急処置後、足を引きずりながら出場しましたが、九州文化学園に1-3で敗戦し準優勝でした。
2004年アテネオリンピック最終予選で再度全日本代表に招集。
初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマーク。
「スーパー女子高生」と呼ばれブレイクしました。
高校卒業後は東レに入社し、東レアローズに入団しました。
木村沙織の学歴
4大会連続オリンピック出場
2005年に東レアローズ入団後は新人賞を受賞。
2008年には東レのリーグ初優勝に貢献し、ベスト6賞を獲得しました。
オリンピックには2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロの4度出場。ロンドンオリンピックでは日本女子バレーボール代表28年ぶりの銅メダル獲得の立役者となりました。
4度の出場は女子インドアバレー史上初でした。
日本リーグでは2012年に5年連続のベスト6賞を受賞。
2012年ロンドンオリンピック終了後、トルコリーグのワクフバンク・テュルクテレコムへ移籍。
年俸は1億円でした。
2013年3月には欧州チャンピオンズリーグ優勝に貢献。
同年、ワクフバンクはトルコカップ、トルコリーグも制覇、式戦無傷の47連勝で3冠を達成しました。
同年に全日本キャプテンに就任。バレーボール人生初のキャプテンだったといいます。
2014年に東レアローズへの復帰。東レ初のプロ契約で契約期間は2年間でした、
2017年3月に31歳で引退を発表。
引退後は。モデルやタレントとして活動しながら、2019年から夫と共に大阪でカフェを経営していましたが、2023年いっぱいで閉店しています。
夫や子供
木村さんは2016年12月、30歳の時に、同い年でバレーボール、ビーチバレー選手の日高裕次郎さんと結婚。
日高さんは日本体育大学卒業後の2009年、NECブルーロケッツに入団が決まりましたが、入団後すぐチームの無期限休部になってしまったことから、ビーチバレーに転向。
2014年にはパナソニック・パンサーズでプレーしましたが、2015年に引退しました。
引退後はパナソニックの社員として働いていましたが、その後、退社したようです。
子供は息子が1人で、2023年2月に誕生しています。
コメント