モニカのヒット曲で知られ俳優としても活躍する吉川晃司さん。
高校時代には全国区の水球選手として活躍しました。
この記事では吉川晃司さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
吉川晃司の学歴
吉川晃司の小学校
吉川晃司さんの出身小学校は 府中町立府中小学校
1965年8月18日生まれ、広島県安芸郡府中町出身。父親、母親、姉の4人家族。
父親の実家は旅館で、現在は広島記念公園となっている原爆投下前には「中島地区」と呼ばれる広島有数の繁華街の端にありました。
旅館が原爆投下前に他人に譲り渡して疎開していたため直撃が逃れましたが、投下直後に疎開先から帰ってきたためそこで父親は被爆し、吉川さんが被爆二世に当たります。
父親は若い頃が京都太秦で大部屋俳優をしていましたが、代々板前の家系で家業を継ぐための板前に転職。しかし、店が火事になり廃業。その後は喫茶店経営やタクシー運転手をしていました。
父親が板前だったので、吉川さんも子供の頃から見ようみまねで料理をしていたといいます。
小学生の時にはボーイスカウトに所属、サッカーもやっていました。
吉川晃司の中学校
吉川晃司さんの出身中学校は 修道中学校 (偏差値63)
中学校は広島県広島市中区南千田西町にある私立の男子校・修道中学校に進学。
中高一貫校で、広島県内屈指の進学校です。
修道中学校の受験を決めたのは、「制服の袖の部分に1本の白線があり、それがカッコよかったから」だと話しています。
中学時代は水泳部に所属。入ったのは1年生の夏からで、夏の暑い日にキラキラプールが輝いて見えて、海パンが落ちていたのではいてプールに浸かっていたところ、中高一貫制のだったので高校の水泳部の主将が来て、「お前、何しとんじゃ!」「今日から水泳部!」と言われて強制的に入部することになり、中学から水球も始めました。
中学時代に音楽にも興味を持ち、高校入学前に新聞配達や牡蠣の冷凍工場でアルバイトをして、エレキギターを購入しました。
吉川晃司の高校
吉川晃司さんの出身高校は 修道高校 (偏差値71)
高校は系列の修道高校に進学。広島県内ではトップ5に入る難関校です。
出身者には元フジテレビアナウンサーの福井謙二さん、山中秀樹さんなどがいます。
高校時代には水球選手として活躍し、1年生の時には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表に選出。2年生の時にはU-20日本代表の最年少選手として抜擢され、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加しました。
高校時代に音楽活動も始め、1年生の秋にはバンドを結成。
2年生の時にが同じ水泳部で後に三味線奏者になる酒井麿さんに誘われ、ロックバンド・EIGHT CITY’S FISH BAND(八つの街の魚) 「通称・はまちバンド」に加入し、ボーカルとサイドギターを担当。
水球での実績で高校卒業後には、慶応大学に特待生としての入学の道が開かれていましたが、佐野元春さんのコンサートを見て衝撃を受け、大学進学を蹴って音楽の道に進むことを決意。
スカウトされたいと思いましたが広島ではなかなかその機会はなく、当時人気だった沢田研二さんやアン・ルイスさん所属していた渡辺プロダクションに自身で、
『広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す』
と手紙を書いて送ると、香川県高松市に松本明子さんを見に来た帰りに、渡辺プロのスタッフが本当に会いに来て、数度のオーディションを経て渡辺プロと正式に契約。
事務所は高校卒業してからのデビューを考えていましたが、本人の希望で1983年4月、高校3年生に進級する直前に、両親や教師の反対を押し切って高校を中退し上京しました。
吉川晃司の経歴 デビュー曲・モニカがヒット
上京後は吉川さん以外にもスカウトされレッスンを受けてる若者が大勢いて、一緒に歌やダンスのレッスンを受ける日々が続きましたが、デビュー出来ずに寮に平気で何年もいる人もいたことから「コイツらと一緒にいたらダメだ」と思い寮には入らず、毎晩ディスコに通いダンスを覚えたといいます。
当時の流行の顔でもなく、一部の社員からが「アイツがダメだ」と烙印を押されていて、デビューの話しは来なかったといい、業を煮やした吉川さんは社長室に行き直談判。
すると、その勝気で怖いもの知らずな度胸が渡辺晋社長に気に入られ歌手と映画でのデビューが決定。
1984年2月1日に『モニカ』で歌手デビュー、同年2月11日公開の映画『すかんぴんウォーク』で俳優デビューしました。
モニカは映画『すかんぴんウォーク』の主題歌として使用され、オリコンチャート4位にランクインするヒット。第26回日本レコード大賞・新人賞、第17回日本有線大賞・最優秀新人賞を受賞。
映画『すかんぴんウォーク』では第8回日本アカデミー賞・新人賞、第27回ブルーリボン賞・新人賞を受賞しました。
1985年1月11日に発売した4枚目のシングル『You Gotta Chance ~ダンスで夏を抱きしめて~』でオリコンチャート1位を獲得。
同年末の第36回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。
1988年には元BOOWYの布袋寅泰さんとユニット『COMPLEX』を結成。
翌年の1989年4月4日に発売したシングル『BE MY BABY』はオリコン1位を獲得しました。
2010年に公開された映画『必死剣 鳥刺し』では第34回日本アカデミー賞・優秀助演男優賞を受賞。
2020年のフジテレビドラマ『探偵・由利麟太郎』で地上波の連続ドラマで初主演を務めました。
吉川晃司の結婚歴や妻、子供
吉川晃司さんは2011年6月、45歳の時に結婚。
妻は2歳年下で看護師の女性。離婚歴があると報じられています。
馴れ初めは2008年の公開された映画『チーム・バチスタの栄光』の撮影。吉川さんは同映画に心臓外科の権威・桐生恭一を演じ、妻は医療技術スタッフとして参加していた看護師でした。
撮影後に交際がスタートし、妻は2009年に未婚のまま実家の北陸で娘を出産。
2011年の東日本大震災をきっかけで「家族は離れ離れになってはいけない」と実感したといい、妻と娘を東京に呼び寄せて入籍したそうです。
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