「アメトーーク! 」をきっかけにブレイクしたお笑い芸人のケンドーコバヤシさん。
高校は進学校に通っていました。
この記事ではケンドーコバヤシさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
ケンドーコバヤシの学歴
ケンドーコバヤシの小学校
ケンドーコバヤシさんの出身小学校は 大阪市立東田辺小学校
1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市東住吉区東田辺出身。本名は小林 友治(こばやし ともはる)。
父親は元金融機関勤務、母親元教師で自宅で書道教室を開いていました。
兄と姉がいる3人兄弟の末っ子
小学校に上がる前に父親がバイクで事故を起こして入院し、その間、母親の実家のある岡山県に預けられていました。
自然が豊かな田舎で、そこの子供たちと毎日遊び、魚の取り方やヘビのさばき方などを教えてもらい野生児になり、大阪に戻って小学校に入った時には男子からリスペクトされていたといいます。
スポーツも好きで、小学校の時には空手と水泳を習っていました。
ケンドーコバヤシの中学校
ケンドーコバヤシさんの出身中学校は 大阪市立中野中学校
中学時代は柔道部に所属していました。
『たしか小6か中1のころ、総合で全国10位以内に入ったんです。』
成績もよく、模擬試験で全国上位に入るほど成績でした。
特に国語は得意でだったといいます。
読書も好きで、ドストエフスキーや海外の小説、漫画も手当たり次第に読みあさっていたそうです。
ケンドーコバヤシの高校
ケンドーコバヤシさんの出身高校は 初芝富田林高校 (偏差値55~67)
大阪府富田林市彼方にある男女共学の私立高校。設置学科は普通科のみ。
出身者には脚本家のますもとたくやさんなどがいます。
高校時代はラグビー部に所属し、キャプテンも務めました、
キャプテンは人気投票で決まり、リーダーシップがあったわけではなく、副キャプテンの方が真面目でリーダーシップがあり、実務を担当してくれていたといいます。
チームは初戦で負けるようなレベルではありませんでしたが、3回戦止まりだったそうです。
高校は進学校でしたが、父親に、
『次男のおまえは大学に行かんでもいい。好きにやれ』
と言われていたこともあり、最初から大学に進学するつもりはなく、ラグビーで大学から誘いもありラグビーは好きでしたが、練習が嫌いで「大学まで行って、また走らされるのはかなわない」と思い大学には進学はせずに、高校卒業後はアルバイトをしていました。
ケンドーコバヤシの経歴・アメトークでブレイク
中学、高校時代から周りには「お笑いに行け」と言われていて、大学卒業後に働いていたアルバイト先に入ってきた幼なじみに誘われて、1992年に吉本興業の養成所「NSC」に11期生として入所。
中川家、陣内智則さん、ハリウッドザコシショウさんなどが同期です。
NSC在学中に元ハリガネロックのユウキロックさんと『松口VS小林』を結成。担当はボケでした。
ツッコミにドロップキック等のプロレス技を用いるなどの芸風で人気を得ましたが、方向性の違いから1995年に解散。
その後は同期の村越周司さんと『モストデンジャラスコンビ』を結成し、全くボケ・ツッコミの区別がつかない無秩序なネタで活躍しましたが、村越さんが芸人引退を希望したため2000年に解散しました。
解散後はピン芸人として、baseよしもとなどで活躍し、2002年には第1回R-1グランプリでは決勝に進出。
関西のテレビ番組でも活躍し、2002年10月には初の冠番組『吉本超合金K・ケンコバ大王』が放送されました。
2003年頃から東京の番組にも出演するようになり、2006年に『アメトーーク』の「越中詩郎大好き芸人」に出演し、越中詩郎さんのものまねが大ウケしブレイク。
「越中詩郎大好き芸人」でブレイクした後は、「越中詩郎のものまねで出てくれ」とオファーが30位以上殺到しましたが、一発屋になる危機を感じ、考えた末に越中詩郎のものまねでの出演は断ったそうです。
以降は『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)、『やりすぎコージー』(テレビ東京)などに出演し全国区の人気となりしました。
ケンドーコバヤシの結婚
ケンドーコバヤシさんは2024年現在、結婚はしていません。
2018年7月には2ヶ月前から交際中の彼女がいること明かし、「結婚願望はある」と話しました。
2023年5月には「3年」付き合っている彼女がいると話し、結婚については「それは出来次第ですかね」と子供が出来たら結婚すると話しました。