風見しんごの学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 風見しんご タレント

日本の「ブレイクダンスの先駆者」とされ、ブレイクダンスが日本で広まるきっかけを作ったタレントの風見しんごさん。
高校は進学校に通ってました
この記事では風見しんごさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

風見しんごの学歴

風見しんごの学歴

小学校  広島市立己斐小学校
中学校  広島学院中学校p
高校   広島学院高校
大学   成蹊大学

風見しんごの小学校

風見しんごさんの出身小学校は 広島市立己斐小学校

1962年10月10日、広島県広島市西区己斐生まれ。本名は大下 義博。
父親は鉄工所を経営。妹がいます。
工場を経営する父親の影響で、子供の頃はエンジニアを目指していました。

母親からは「大きな声であいさつするように」と言われて育ち、声が大きくなったといい、声が大きくなったこと友達が出来やくなり、芸能界入りしたのも元気よくあいさつしたこがきっかけの1つでした。
子供の頃には松林拳法を習い、2級で茶帯を持っています。

風見しんごの中学校・高校

風見しんごさんの出身中学校・高校は 広島学院中学校・広島学院高校

広島県広島市西区古江上一丁目にあるカトリック修道会のイエズス会を設立母体の、私立の男子校。
中学校の偏差値は69。中高完全一貫制のため高校の生徒募集はなく、偏差値はありませんが、毎年10人~20ほどの東京大学合格者を出す進学校です。
出身者には作家の青山圭秀さん、将棋棋士の糸谷哲郎さんなどがいます。

中学、高校共に部活には入っていなかったようですが、体操部に借り出され床で競技に出場しました。
高校時代のあだ名は「カリメロ」、入学した頃は進学校に授業についていくことが出来ず、成績はどんどん落ちていったといいます。
ただ、理系で数学や物理は得意だったようです。
高校2年生の1年間は、苦手は英語を克服するために、自分に毎日50個の単語を暗記することを課していました。

風見しんごの大学

風見しんごさんの出身大学は 成蹊大学 工学部(偏差値56)

東京都武蔵野市吉祥寺北町三丁目に本部がある私立大学。
工学部で機械工学専攻していました。
大学受験の時には周囲に地元の広島大学を勧められましたが、「東京に出たい」との気持ちから青山学院大学と成蹊大学を受験し両校とも合格し、成蹊大学を選択して、1981年に入学しました。

1981年、大学1年生の時に、ローラー族のチーム「東京ビクトリークラブ」のメンバーだった哀川翔さんを見かけ、数週間後に

『仲間に入れてください』

と声をかけメンバー入り。メンバーには野々村真さん、羽賀研二さんがいました。

原宿にあった歩行者天国でのパフォーマンスに参加し、髪型はリーゼントで、服装は革ジャンを着ていたといいます。
後にメンバーの中から「一世風靡」がデビューしますが、風見さんがいたのはその前まです。

1982年、新番組の出演者オーディションの参加者を探しに来たTBSのスタッフに声をかけられ、萩本欽一さんの『欽ちゃんの週刊欽曜日』のオーディションに行き、萩本さんに元気よくあいさつすると、

『元気いいね、ハイ、合格』

と採用され、同年に芸能界デビュー。大学には後に中退しています。

風見しんごの経歴・歌手デビュー

風見しんごのプロフィール

名前   風見しんご
生年月日 1962年10月10日
出身   広島県広島市西区
身長   169cm
血液型  A型
所属   マスタープラン

1982年にTBSの『欽ちゃんの週刊欽曜日』でデビューすると、欽ちゃんファミリーの中で抜群のアイドル性を放ち、1983年5月に『僕笑っちゃいます』で歌手デビュー。 オリコンチャートは6位になり、33万枚売り上げて

第16回日本有線大賞・最優秀新人賞
第16回日本レコードセールス大賞・新人賞

などを受賞しました。

ブレイクダンスの先駆者

風見しんごさんがブレイクダンスを始めたのは、歌手デビューした1983年に、映画『フラッシュダンス』を見たことがきっかけでした。
映画でブレイクダンスが出てくるのはわずかでしたが、子供が路上でバックスピンをしているシーンを見て、「何だこの動きは」とその動きに魅了されたといいます。
当時はブレイクダンスはほとんど知られてなく、日本でやっている人が見つからず、「本場で学ぶしかない」と渡米。
しかし、アメリカにもブレイクダンスの教室はなく、ニューヨークの路上でブレイクダンスを踊っている人たちのもとに、毎日通い本場のダンスを片言の英語で学んだといいます。

帰国後、1984年12月の4枚目のシングル『涙のtake a chance』で振付にブレイクダンスを取り入れ、当時の音楽番組で大きな話題を呼びました。
日本で初めてテレビでブレイクダンスを披露し、『日本におけるブレイクダンスの先駆者』として日本中にブレイクダンスを広めた人物と評価されています。

歌手としては2012年2月までで7枚のシングルをリリースしました。

タレント、俳優として活動

1985年9月の6枚目のシングル以降は、タレント、俳優をメインに活動。
1983年に『もういちど結婚』(TBS)でドラマデビューし、1985年の『まさし君』(フジテレビ)ドラマ初主演。
1987年には『泣き虫チャチャ』で映画初主演を務め、同年の『あいつに恋して』でも主演しました。

人気クイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ)にレギュラー出演し、1996年4月11日には、風見さんが「新マジカルアート伝言バトル」で潜水艦の絵をかいた瞬間に40.9%の最高視聴率を記録。
その後も多くの人気場バラエティー番組に出演、1997年4月からは『噂の!東京マガジン』(TBS系)にレギュラー出演。
25年レギュラーを務め、2022年12月に語学留学のために渡米することを発表し、番組を卒業しました。

『ある程度英語ができるようになるまではと思っていますが、4~5年はかかりますかね。いや、それだけ経ってもできるようになっていないかもしれませんね。』

当時、6年前から妻と娘がアメリカに行っていたといい、以降はアメリカに拠点を移しました。、

風見しんごの結婚や妻、子供

風見しんごさんが結婚したのは1994年11月。妻は5歳年下の尚子さん。
尚子さんは元ミス日本で、1990年に芸能界入りしモデル、女優としてとして活動していました。

子供は3人誕生しまたが、2人は亡くなっています。
1996に長女が誕生しましたが、10歳の時に交通事故で他界。
2003年に次女が誕生。2008年の長男は死産でした。
次女は2017年から妻と共にアメリカに留学しています。

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