ドリフターズのメンバーで「加トちゃんペッ!」のギャグで知られる加藤茶さん。
バンド時代はドラムを担当していました。
この記事では加藤茶さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
加藤茶の学歴
加藤茶の小学校
加藤茶さんの出身小学校は 福島市立福島第四小学校
戦争のまっただ中の1943年に東京都世田谷区で生まれました。
本名は加藤 英文(かとう ひでふみ)。父親はジャズギタリストでした。
3歳まで東京で育ち、1ヶ月間母親の実家のある愛媛県新居浜市に住んだ後、父親が癌を患ったため、父親、母親、3歳年下の妹と福島県福島市に疎開。
その後、父親は亡くなり、母親はひとり東京に戻り家族のために仕送りを続け、加藤さんが小学校に入学するこ頃に母親は福島に戻り、飲食店を経営し家族3人で暮らしました。
父親のことは、ほとんど覚えていないといいます。
加藤茶の中学校
加藤茶さんの出身中学校は 福島市立福島第ニ中学校
戦争のため食糧不足で、やっと食べられるようになったのは中学生の頃だったそうです。
中学時代には新聞配達のアルバイトをしていて、稲荷神社に夕方に来る屋台の40円くらいのラーメンをよく食べていて、すごく美味しかったといいます。
加藤茶の高校
加藤茶さんの出身高校は 福島工業高校 (偏差値43~58)
福島県福島市御山町にある男女共学の私立高校で、1992年に改称され現在は松韻学園福島高校になっています。
無線に興味があったので、同高校に進学しました。
高校時代には映画館で映写技師見習いのアルバイトをしていました。
高校2年生の時に叔母に会いに上京すると東京の活気と人の多さに驚き、福島に戻ったら東京においていかれると思い高校を中退して、父親と同じバンドマンを目指して東京で生活を始めました。
加藤茶の経歴
17歳で上京後し、バンドボーイとして働きなたがらトロンボーン奏者を目指しましたが、トロンボーンが高額で買えなかったため、ドラマーに折れたスティックを捨てるように頼まれたことがきっかけで、スティックがあれば練習できるドラマーになるとことを決意。
ドラマーの先輩にマンツーマンで3週間教えてもらい、先輩の紹介でバンドに加入し、上京後半年でミュージシャン生活が始りました。
当時はバンドを移るたびにギャラが上がるのが慣例で、1961年にクレージーウェストに加入し、仲本工事さんと出会い、いかりや長介さんに誘われて、1962年に加入した3つ目のバンドがドリフターズでした。
当時、19歳で面白いズーズー弁をしゃべる若者として楽屋で人気があったことでスカウトされたといいます。
2年後にリーダーにいかりやさんに反発しメンバーが辞め、いかりやさんと2人だけになり加藤さんも辞めようと思いましたが、いかりやさんの説得で残り、その後、仲本工事さん、高木ブーさん、荒井注さんが加わりコミックバンドとして活動。
1964年には、ドリフ初レギュラー番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ)での「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者になりました。
1966年にはビートルズ日本公演の前座を務め、1969年10月からは『8時だョ!全員集合』(TBS)の放送が始り、最盛期には日本のバラエティ番組史上の最高視聴率50.5%を記録。
加藤さんはさまざまな一発芸をヒットさせ。小学生の間でカリスマ的存在となりました。
加藤茶の妻と子供
加藤茶さんには2度の結婚歴があり、最初の結婚は1987年11月、44歳の時でした。
結婚相手は着物講師だった、18歳年下の鈴子さん。
結婚披露宴は当時の加藤さんの冠番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で放送され、、視聴率36.3%を記録しました。
子供は3人で、1988年に長男、1991年に長女、1993年に次男が誕生しています。
長女の加藤文代さんは2006年、15歳の時に女優デビューし、2015年頃まで活動していました。
離婚したのは結婚16年目の2003年でした。
加藤さんが45歳年下の綾菜さんと再婚したのは2011年6月、68歳の時でした。
綾菜さんは結婚した時、23歳。
馴れ初めは、大学生だった綾菜さんのアルバイト先の割烹料理店に加藤さんが訪れたことでした。
何度も店に来店しているうちに親しくなり、加藤さんのアプローチで交際に発展。約2年の交際期間を経て結婚しました。
加藤さんと綾菜さんとの間に子供はいません。